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「安全第一」を掲げながら社員の命を軽視する組織を去る:限りある命の尊さと働き方を考える

命を軽視する環境からの卒業:安全管理者としての決断

先日、私は長年従事した建設業の会社に退職願を提出しました。震災復興事業に関わり、「安全第一」をモットーに現場管理を行ってきた私にとって、この決断は、自らの価値観と深く向き合った結果です。

建設現場では小さなミスが大きな事故や命に関わる問題を引き起こすことがあり、私は常にその責任の重さを感じてきました。しかし、私の「安全第一」の考え方と、社長の経営理念が一致しなかったことが、退職に至った大きな理由です。

職場環境の安全意識の欠如:熱中症リスクの無視

最も象徴的だったのが、社屋の一部にある部署での劣悪な職場環境の安全に対する意識の差でした。

その部署で働く社員は、過酷な熱中症のリスクにさらされていました。外気温が30度を超えた際には、室温は50度近くまで上昇し、エアコンを稼働しても室温は35度程度までしか下がらない状況です。社員は危険な環境での作業を我慢し続けていたのです。

彼らは環境改善を要望していましたが、社長は「予算がない」の一点張りで改善に消極的であり、社員は諦めるしかなかったのです。

安全管理者としての責任と経営者の責任

私は安全管理者として、現場で働く人々の命を守る責任を負っています。こうした問題に対して何も行動しないことは、私にとって耐えられないことでした。

社長は「安全第一」を掲げているのは口だけで、実際にはコスト削減を優先し、社員の声を無視していました。社員の健康や安全が最優先であるという基本的な認識が、経営者には決定的に欠けていたのです。これが私にとっては最も耐え難い現実でした。

限りある命の尊厳と仏教的な働き方

仏教的な観点から見ても、限りある命を大切に使う。それ以外に大事なことはありません。社員が命を削ってまで働くことに意味はありません。

どんなに大きなプロジェクトでも、どんなに高い評価を目指しても、命を犠牲にする働き方は本末転倒です。私は社長に失望しましたが、社員の命と健康を守るための改善要望書と退職願を共に出しました。

私は会社を去りますが、残された社員が少しでも安全で健やかな環境で働けるよう改善すると、社長は約束しました。

社員の命と健康を守ることは、経営者の最も大切な責任です。会社が安全を最優先に考え、働く人々が命を削らずに働ける環境を整えてくれることを心から願っています。

今後の人生では、私自身が大切にしている価値観を守りながら、新たなチャレンジをしていきたいと思っています。この経験を活かし、安全な環境作りに貢献できれば幸いです。