書いた人:仏陀倶楽部 会員
子どもの頃には呪文のように聞こえていた読経も、仏教を学ぶ中で、私たちの生き方を示す教えとして受け止められるようになります。本レポートでは、般若心経や浄土真宗との出会いを経て、念仏を阿弥陀如来の本願に支えられて生きることの確かめとして称えるようになった歩みを振り返ります。
呪文のように聞こえていたお経
子どもの頃、お葬式などで聞く読経は、呪文のように感じられていました。大人になって「般若心経」を知り、そこには人間の生き方や考え方が説かれていることを知りました。
また、家族を亡くしたとき、家系の宗派が浄土真宗大谷派であることを知りました。それをきっかけに、浄土真宗でも人間の在り方が説かれていることに興味を持つようになりました。
仏陀倶楽部とのご縁
還暦を迎え、「仏陀倶楽部」とご縁がありました。
仏教を学ばせていただく中で、お経は死者に向けたものではなく、私たちの生き方を示すものであることを、改めて認識しました。
また、浄土真宗のお念仏は、阿弥陀如来の本願に帰依する言葉であると受け止めるようになりました。
本願に支えられて生きる
阿弥陀如来は、すべての人を救おうという本願を成就して、仏となられた仏様です。
人間が自力だけで生きることには限界があります。だからこそ、阿弥陀如来の本願をよりどころとし、そのはたらきに身を任せることができるのだと学びました。
そして、お念仏は、阿弥陀如来の本願に帰依するしるしであると受け止めています。
私は、お念仏を称えることで、自らが阿弥陀如来の本願に支えられて生きていることを確かめています。これからも、その本願に支えられて生きていきたいと思っています。
これが、私がお念仏を称える理由です。
南無阿弥陀仏。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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