毎日の生活の中で、本当に偶然が重なって、何かに導かれたのではないかと感じるような「奇跡」に遭遇することもあります。今日正にそう感じる出来事がありました。
先日、息子の幼稚園で学芸会がありました。劇できつね役をやったのですが、うまく演技ができて本人もご満悦で、幼稚園にお迎えに行った時に、きつねのお面をかぶって出て来ました。ところが…家に帰って来たら頭にお面がないのです。幼稚園のお迎えベンチのところに忘れたのか、道中で落としたのか… 本人落ち込んで泣いていたのですが、いずれにしても探しようがないので、週明けに幼稚園に届いていないかどうか聞いてみようと慰めていました。私も彼の頭からお面がなくなっていたことに気付かなかったので、ちょっと責任を感じていました。
そんな中、今日の夕方、ご近所の知り合いの方からLINEが… 「道路にきつねのお面が落ちていたのですが、お子様のじゃないですか?」と。お面の裏に名前が書いてあったので、もしかしたら…と思ってくださったとのことでした。とてもびっくりしました。ちょうど出かけていたので、帰宅してすぐに(大喜びの)息子を連れて取りに伺いましたが、こんな奇跡的なこともあるんですね…
まず、たまたま知り合いが見つけてくださったこと。しかも、その日は幼稚園の前の道が工事で通れなくて、いつもと違う遠回りの道を通って帰って来たのです。そちらを通っていなかったら、その方の目には入っていなかったはずです。お面には名前だけで、幼稚園の名前等は入っていなかったのですが、そのご家庭も2人のお子様が以前に同じ幼稚園に帰っていて、このお面の感じはきっとそうだと思ったのだそうです。その場から写真と共にLINEをいただいたのですが、連絡先を共有していなかったら、タイミングを逃していたかもしれません。本当にありがとうございました! 先に他の方に拾われていたら、息子のところに戻って来なかったかもしれません。いろんな偶然が重なって、奇跡が起きたことが分かります。息子は見つかったことが嬉しくて、帰って来てお面を被って夕食を食べていました(苦笑)。
考えてみたら、こういう偶然が重なることの「奇跡」って、世の中にはたくさんあるのだろうと思いました。どこに住むか、どこの学校・会社に入るかで、人との出会いはまったく変わってしまいますし、行動が数分ずれていただけで、その人とは出会っておらず人生が変わったとか、事故に遭わずに済んだとか、考え出したらきりがないような気がします。私が妻と出会って結婚して、4人も子どもを授かったこともとても奇跡的なことだと強く感じています。そもそも、私たちが生まれて来る時に、数億個の精子のうち1つが卵子と着床して生命が誕生しているので、もう自分がここにいること、子どもたちが生まれて来てくれたこと自体が壮大な奇跡の物語なんですよね… ちょっと話のスケールが大きくなり過ぎました。
これからも、1つひとつの「奇跡」を大切にして、人との出会いや様々な出来事に感謝しながら生きて行こうと、改めて感じた出来事でした。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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