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第十一回「「自信」なんてなくてもいい。一歩踏み出してみよう」

第十一回「「自信」なんてなくてもいい。一歩踏み出してみよう」

「自分に自信がなくて、人生がうまくいかない」と相談を受けることがよくあります。話を聞いてみると、「自信がない」根拠はそれがスキルであれ、容姿であれ、自分の周囲にいる10人くらいと比べて劣っていると思っているだけです。つまり、まわりからの評価を気にするあまり、そう思い込んでいるのです。

仏教には「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という人間観があり、この世に生まれたからには、誰しもがほかに代わることができない貴重な存在だとしています。「なんの役にも立たない価値のない人間は一人もいない」。仏教はそう教えています。

一人一人の個性や得意を生かすことで、それぞれの人生が輝きます。したがって「自分なんて……」と卑下することはないのです。それでもまだ、「そうは言っても……」と考えてしまうかもしれません。

そもそも、「自分はこれが得意」「ほかの人よりうまくできる」という自信は、合理的な考えではありません。なぜなら、比べる対象によってどのくらいできるかは変わりますし、状況が変わったら同じ成果を出せるかどうかわからないからです。

ビジネスやスポーツ界などで成功している人ほど謙虚なのは、このことがわかっているからでしょう。いつ、どうなるかわからない。だからこそ、そのときにできるベストを尽くす。いらない自信を手放して、この姿勢を持つことが今を充実させるポイントなのです。

一歩踏みだすために自信は必要ありません。私は髪の毛を永久脱毛しています。「髪の毛を増やしたい!」と考える人が大半の中で坊主にしていると、「そもそも、よく髪の毛を剃る決意ができましたね」「自分に自信があるんですね」などと言われます。

でも私は、自分に自信があったから髪の毛を脱毛したのではありません。20代の頃、「髪の毛が薄くなってきたら、カッコ悪い」と真剣に悩んだこともあります。そんなとき、いつも通っていたサロンの担当者に「そんなに気になるなら、いっそのことスキンヘッドにしてみれば?」と言われたのをきっかけに、髪をバッサリと刈り上げたのです。

すると「似合う」「カッコいい」と、思った以上にまわりの評判がよかったのです。それから、髪の状態に悩む時間がもったいないので、坊主を通しています。このとき私が実感したのは、自信は、最初から身につくものではないということです。

「前にもやったけどダメだったから」という話もよく聞きます。でもたとえば、25メートルを泳ごうとしている人が、「昨日は15メートルしか泳げなかったから自信がありません」と言ってあきらめるでしょうか。練習もしないで「乗れるようになったら」自転車に乗ることも不可能です。

そのとき考えられる一番を選んで行動する。結果がうまくいくか、いかないか、やってみなければわからない。ダメならダメで別の道を選ぶだけ。そうした、淡々とした行動を積み重ねていくと、自信も何も気にならなくなりました。

自分だけのことならそれでもいい、でも「仕事などほかの人が関わる状況で、やみくもに行動するのはちょっと……」と思う人もいるかもしれません。でも私は、仕事をしたり社会で生きていくなかで、たとえ結果がうまくいかなくても誰かの命に関わるような重大な結果をもたらす状況は、救命医療などを除き、そうそうないと考えます。

できることに力を尽くし、まわりが望んだ通りにならなくても、さほど気にする必要はないと思います。そしてもう一度、自分ができることを考えてやり直せばいいのではないでしょうか。

「自信」にこだわりすぎると、自信が身につくまで決断を先送りし続けてしまうかもしれません。また、自信をつけようとむやみにがんばりすぎることもあるでしょう。

自信は行動した結果、時間とともに身につくもの。そう考えて、自信を持つことへの執着も減らしていけば、グッとラクになるはずです。

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