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第十六回「念仏のすすめ」

第十六回「念仏のすすめ」

浄土真宗は、死後について考える宗派だというイメージがあります。「“南無阿弥陀仏”と唱えれば、極楽浄土に行ける」という基本の教えからすると、そう思ってしまうのもムリはないでしょう。

しかし親鸞は、法然の教えをさらに突き詰め、死んだあとに幸せになるのではなく、現世を積極的によりよく生きるためのものとしようとしました。親鸞は「即特往生(そくとくおうじょう)」という仏教の言葉をこう説明しています。

「“即特往生”とは、そもそも信心をいただければ、命を終えたときすぐに浄土に生まれ変わることができるということです。しかし、私は、死んでから浄土に往くということではないと考えます。“即特往生”とはすなわち、不退転の境地に住むことなのです」

「不退転の境地」とは、人生のどんなできごとにも負けたり逃げたりせず、自分の人生に意義と希望を持って生きるという意味です。つまり、親鸞聖人の教えに従えば、死んだあとではなく、今すぐに自分なりの人生に取り組むことができるという意味なのです。

また親鸞は「不退転の境地に住む」ということは、つまり「浄土に生まれると定められた人の仲間になった」ということでもあると言っています。自力を捨て去り、他力にまかせることができるようになったとき、浄土に生まれると信じることができる。

行く先がはっきりしたことで、この世での不安や心配は消え去り、過去や未来にとらわれることもない。何も恐れることなく、「今」を積極的に生きることができるようになると説いているのです。

とはいえ、「たとえ一心不乱に念仏を唱えても、阿弥陀様が奇跡を起こしてくれるわけじゃないでしょう」と思うでしょうか。実は、そう考える人に限って、実際に念仏を唱えたことがありません。私は念仏の効果を疑う人には、「1回、やってみて」と勧めています。

実際に、念仏を繰り返すのは人間の心身に大きな影響を及ぼします。一心に念仏を唱えると、余計な考えが頭に浮かばない無心の状態になることができます。これは念仏だけに限りません。たとえば、ゆっくりとしたテンポで深呼吸をしたり、ウォーキングをしたりする。また、一定のリズムでガムをかんだり、「わっしょい、わっしょい」と声に出してお神輿を担ぐ。

こうした行動はすべて、ストレスや不安を抑えて平常心を取り戻してくれるセロトニン神経を活性化してくれます。次から次へと雑念が浮かぶままにまかせると、脳は膨大なエネルギーを消費すると言われています。「南無阿弥陀仏」と繰り返し無心になることで、頭がクリアになり心が静かになります。心が整えば、臨機応変に悩みに対応できるようになれるのは、科学的な事実なのです。

ただし、これはとにかく念仏さえ唱えれば、人生がすべてうまくいくということではありません。また、どれだけ悪いことをしても「南無阿弥陀仏」と言えば、許されるという意味でもないのです。

親鸞が教えを説いた当時も同じで「念仏を唱えるだけで救われる(専修念仏)」の教えの意味を誤って理解し、念仏さえすればどんな行いをしても許されるとして悪事を行うものや、伝統的な仏教を非難するものたちも現れました。

しかし、のちに親鸞は「念仏とは、そもそも阿弥陀仏様から信心の心が起こるよう工夫された言葉だ」と開眼。念仏を心に思い浮かべるだけでいいとしたのです。

そもそもお釈迦様が伝えた仏教では「不幸は自分の考え方が生み出すもの」だとされています。しかし、どれだけ学び続けたとしても、考え方そのものを変えるのは非常に困難である。このことは、20年もの修行を積んだ親鸞がいちばんよくわかっていました。 また、親鸞は、悟りを開くために「自力でなんとかしようとする」ことの難しさも身にしみていました。だったら、自分のできることだけに力を注いだら、自分の力でどうにもならないことは、シンプルに念仏を唱えて阿弥陀様にお任せするのがいいという結論に達したのです。

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