誰であっても僧侶になれる「得度」への道をご用意しております

煩悩具足の凡夫(後編)

そしてもう少し探求しますと、この八識を満たせないときに人はどうなるか。
それは『恐怖』に苛まれます。難病の一つである筋萎縮性側索硬化症(ALS)をご存知でしょうか。

進行性の疾患で首から下の筋力が低下し最終的には呼吸器機能が失われ死に至る疾患です。
首から舌の筋力ということですので会話もできなくなりますが、顔の筋力は保たれることが多いため、目の動きや唇、顎などでコミュニケーションボードを使って会話を行う姿がよく見られます。

この疾患がある方々の数%と事例は少ないのですが、ブラックアウトという状態があります。これは筋力低下の進行によりまぶたを開けられない状態です。

意識はしっかりして周囲の音も聞こえる。しかし話すことはできず、まぶたを開けることができな状態。
もちろん身体も動かせません。この状況をイメージしたとき、皆さんは何を感じるでしょうか。私はただただ恐怖を感じてしまうと思います。つまり人間の一番の根底には、『恐怖』というものがあることがわかります。

これも仏教の教えから理解とイメージ化ができます。お釈迦様は人の生きるを海に例えられました。その海を難度海といわれ、三法印の一つ、一切皆苦を教えられました。
人は生まれた瞬間から、生き苦しいものだと。ただでさえ海に浮かんでいるだけでも生き苦しいのに、海には波がありますし、穏やかな状態ばかりではありません。当然頭まで沈むようなときもあるわけです。

そんなときまさに生き苦しいから、息苦しいと変わるわけです。生き苦しいと息苦しいの違いは五欲と八識の違いです。生き苦しいときはもっと楽になりたいと思いますので欲が出ます。
しかし息苦しいはその自身の生命活動への影響がありますから、八識の問題となります。八識が満たされないときには前述したように、不快、嫌悪、逃避などが置きます。このとき湧き上がるのが恐怖となるわけです。

恐怖は生きるを維持させるためには必要不可欠なものです。これがなければ人類は滅亡していたと言われるほどのものです。しかし現代社会はこの恐怖が行き過ぎている様に思います。行き過ぎた恐怖は個人レベルにとどまらず、他者へと伝播するからです。オイルショック然り、ウイルス感染時の買い占め然りです。

人は苦しみの中をどう生きるのか、絶対の幸福(真楽)に至るにはどうすればよいかを考える上でまずは知らなければいけない煩悩。
これまで煩悩の探求から、深く深くその正体を探ってきました。108の煩悩のもとには五欲がありました。五欲のもとには八識がありました。
そして八識が機能しなかったり満たされないときに人は恐怖が無限に湧き上がってくる生き物であるところまで到達することができました。

全てはこの恐怖の苦しみから逃れんとする行為そのものが全ての根源であったと言えるのではないかと私は思います。
人は生態系の頂点にいると自負しています。しかしある種のの側面から見れば、他の生物に比べても最も脆弱な生物と言えます。
ですから恐怖というものを持ち、知恵と慈悲で生き延びてこられた。恐怖と智慧と慈悲のバランスを考えることが疎かになり、いつしか生態系の頂点という自負から都合の悪い恐怖には目を向けず、蓋をし、誤魔化しています。

でもそれでも湧き上がる恐怖に人はその都度パニックとなります。苦しみから解き放たれるどころか、ますます苦しみが増えている。そんな現代で私は仏縁をいただき、その正体をお釈迦様、親鸞聖人などの教えを聴聞することで紐解くことができました。
そして私なりに人の煩悩の正体を知り、コントロールするためには、恐怖に向き合うことと知りました。恐怖に向き合うとは自身の弱さに向き合うこと。大変勇気のいることですが弱さを知るところから、認めるところから、自覚するところから始めることが大事だと行き着きました。

『人は無能であり、無益であり、無様である』

このように仏教の教えから私の目の前に上記の言葉が現れました。
この仏法からいただけたこの言葉を大事にし、布教に努められたらと思う今日このごろです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

仏陀倶楽部入会申込

仏陀倶楽部入会案内

得度について

得藏寺 得度

仏陀倶楽部公式LINE

仏陀倶楽部公式LINEバナー (1)

この記事を書いた人

目次