誰であっても僧侶になれる「得度」への道をご用意しております

使命

地球に来て、自分の使命と出逢える人は1%とも言われています。

「人生に目的なんかない」という意見もありますが、使命は確実に存在します。
私たちは、目的を持って、地球に修行に来ているので、その目的が使命です。

ただ、その目的(使命)は「世界を救おう」とか、大層なものでないことが多いです。
「楽しいことをたくさんしよう」「家族を大切にしよう」「勇気を学ぼう」そういうことも大切な使命です。

むしろ大きな目標を持った1人の人を、大勢の人が支えて、大きな目標を叶えていくという仕組みが普通ですので、大きな使命を持っている人はごく少数です。

この辺がしっかり理解されないと、いたずらに「夢を持とう」と言われて、それがプレッシャーになっている人もたくさんいます。
「私には(大きな)夢がない。私はやっぱりダメな人なんだ」という思考です。小さな夢でも目標でも、それが自分にとっては大切で、大きなことなんだよ、っていうことをしっかりと伝えて言ってあげることが大事だと思います。

でも、なぜこんなにも使命に出逢える人が少ないのでしょうか?
私自身も、自分の使命と出逢いたくて、たくさんもがきながら、ようやく40歳を超えて出逢えたと思っていますが、そのプロセスは誰にでも再現性があると思っています。

振り返ればプロセスが特に難しいとかではありません。
この世の常識が、使命を見つけるのをかなり難しくさせていると言って良いでしょう。

やり方は、「好きを追いかける」
これだけです。

私たちは、過去の記憶も、決めて来た使命もわからない状態で地球にやってきます。
でも神様は親切です。

私たちが簡単に使命を生きられるようにしてくれているのです。
それが、「好き」という感情です。

この「好き」という羅針盤が向く方向に人生を歩めば、我々はほとんど使命と出逢えるようになっているのです。
血のつながった家族でも、「好き」はばらばらです。それが、「好き」という感情が魂とつながっている証拠です。

この「好き」がストレートに追いかけられない、地球の変な常識が、私たちが使命で生きることを大きく邪魔しているのです。

「好きなことばかりしてたらダメ」
「嫌なことでも我慢して努力しなさい」
「努力をしないと立派になれない」

いつからか出来上がった、この常識が地球をつまらない場所にしています。
仏陀も、苦しい修行は意味がないことを悟りました。苦しいこと、努力と感じるということは、それが「好き」(使命)のゾーンにないということです。

使命を生きた人は皆同じことを言います。
「しんどいときもあったけど楽しかった」
「努力と思ったことはない」

そうなんです。好きなことだったら、みな楽しく頑張れるんです。歯を食いしばって、好きでもないことをやると、魂がすり減ります。
そして、うまく行くこともないでしょう。

なぜなら、そんなことがうまく行ったら私たちは使命に戻れなくなるからです。私自身も経験していますが、使命じゃないことはなかなかうまく行かない。正に天が味方していない感じです。

使命と出逢えた瞬間、追い風がびゅーんと吹いて来て、人智を超えた、得体の知れない大きな流れに巻き込まれたという体感があります。そしてそれは今も続いています。不思議な出逢い、天からの助けを感じるのはもはや日常にもなっています。

こうやって好きではない道を進んでいても、私たちは少しずつ「好き」に戻してもらえるような仕組みになっています。

「好き」と「楽」はまた違ったりするのが、少し難易度を上げているのですが、一人でも多くの人が、使命と出逢い、使命を全うする人生を歩んでもらうために、この世の真理を伝えていかなければと思います。
使命で生きると人生がとても充実して幸福感でいっぱいになりますから。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

仏陀倶楽部入会申込

仏陀倶楽部入会案内

得度について

得藏寺 得度

仏陀倶楽部公式LINE

仏陀倶楽部公式LINEバナー (1)

この記事を書いた人

目次