仏教では貪・瞋・痴の反対は不貪・不瞋・不痴であり、
お釈迦様は不貪・不瞋・不痴が涅槃ですとお答えになったと言われているそうですが、
なぜ不と言う言葉で定義したのでしょうか。
例えば「瞋=怒り」の反対は笑顔でいましょう、でも良いのではないでしょうか。
これは不とすることで制限、限界をなくすためであり、
先程の「瞋=怒り」の反対は笑顔のようにしてしまうと笑顔のみが良いとなってしまうからです。
言い切らないことで、制限、限界をなくす、
つまりは考える余白を残しているのではないかと思います。
世の中で本当に言い切れることなんて実は多くないのですね。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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