仏教では貪・瞋・痴の反対は不貪・不瞋・不痴であり、
お釈迦様は不貪・不瞋・不痴が涅槃ですとお答えになったと言われているそうですが、
なぜ不と言う言葉で定義したのでしょうか。
例えば「瞋=怒り」の反対は笑顔でいましょう、でも良いのではないでしょうか。
これは不とすることで制限、限界をなくすためであり、
先程の「瞋=怒り」の反対は笑顔のようにしてしまうと笑顔のみが良いとなってしまうからです。
言い切らないことで、制限、限界をなくす、
つまりは考える余白を残しているのではないかと思います。
世の中で本当に言い切れることなんて実は多くないのですね。