「ギブ&テイク」が健全ではない近しい人間関係の構造
私はギブ&テイクという言葉が好きではありません。ビジネスにおけるギブ&テイク(Give & Take)は、契約に基づく当然の関係であり、そこに違和感はありません。
しかし、家族や恋人、親しい友人といった近しい人間関係においてはどうでしょうか?
「自分はこれだけしてあげているのに、相手は〇〇をしてくれない」という意識を持ってしまうと、常に相手の言葉や行動を監視し、イライラした状態が続いてしまいます。「何で自分だけ…」という被害者意識や、「だったら自分も〇〇してあげない」という報復的な考えは、自分自身を不幸にしてしまいます。
真の愛情とは、見返りを期待する取引ではありません。
仏教の教えに学ぶ「愛はギブ&ギブである」という真理
仏陀倶楽部 代表 愛葉氏のご著書「人生を変えるのに修業はいらない」の中で、まさにこのことに触れられている章があり、とても共感しました。「愛はギブ&ギブである」「見返りを求めないのが本当の愛である」というのは、仏教の教えにも通ずる重要な考え方であることを理解しました。
私たちが人間関係で疲弊するのは、無意識のうちに見返りを求めない愛を実践できていないからです。愛とは本来、自発的に与える行為であり、相手から何かを期待した時点で、それは愛ではなく「取引」へと変質してしまいます。
子育てにおける「ギブ・ギブ・ギブ」の実践
現在、私は1桁年齢の子ども4人の子育てと仕事の両立に日々奮闘しています。妻の出張が多く、ワンオペで家事や4人の世話、連れ歩きをする場面が多く、体力的・精神的にしんどい時もあります。
しかし、特に最近はとても楽しく子育てに向かえていると感じています。その理由は、「子育てに見返りを求めない」「子育ては徹底的にギブ・ギブ・ギブである」という覚悟を決めたからです。
この視点を持つことで、子育ての苦労が重荷ではなく、純粋な喜びへと変わるのです。
究極の「見返り」は、与えること自体の中にある
もちろん、実際には妻や子どもたちからもたくさんの愛をもらっています。彼らの存在そのものが私の幸せであり、十分すぎるほどの見返りはもらっていると言えます。
そういう意味では、「ギブ・ギブ・ギブ」だと考えていること自体、もしかしたら不遜なことなのかもしれません。なぜなら、私たちが誰かに親切や無償の愛を与えるその瞬間に、すでに私たちは充足感や幸福という最大の「見返り」を受け取っているからです。真の幸福は、与える行為そのものによって完成されているのです。


















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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