この世は、中庸が生きやすい。
どちらか一方に偏り過ぎると、途端に生きずらくなります。
「迷惑」も同じです。
日本では、他人に「迷惑を掛けない」ということが美徳とされてきました。それは一つの文化の形として素晴らしいことと思います。
ただ、現在では、かなり偏り過ぎた状態になっています。
「迷惑を掛けない」の優先順位が高過ぎて、「自分のやりたいことをやれない」という状況になっているのです。
何をやるにも、「これは他人に迷惑を掛けないか?」という判断基準になり過ぎると、自分を見失います。自分がやりたいことでも、他人に迷惑を掛けることは、やらないという選択になります。
これでは、人生を満喫もできませんし、経験ができないのですから修行にもなりません。
今回のコロナ騒動は、ウイルスの問題以上に、この「迷惑を掛けることができない」という風土が日本人を苦しめました。
この偏りを戻すには、「他人に迷惑を掛けても良いから、やりたいことをやろう」と、常識を変えていかないといけません。
曲がった針金をまっすぐに伸ばすには、一度、逆側に大きく曲げないといけないのです。
先日、50カ国以上の海外を見て回った方が、「日本人が一番、自分らしく生きれていない」と言っていました。
これからの時代は、「自分らしく生きる」がもっともっとテーマになって来ます。
そのために、多くの日本人が、多少の迷惑は顧みず、むしろ迷惑を掛けないように生きて来たつもりが、実はかなり迷惑を掛けて来たという、残念な事実にちゃんと気付き、自分らしい人生を生きることを切に願います。
















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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