もう四十年も前になるだろうか、NHKの朝の連続テレビ小説で 『おしん』が放映されていた。 私の母は十八歳から二十五歳まで、徳島と京都で女中奉公をしていた。母は 『おしん』 に自分をダブらせていたのであろうか、毎日食い入るように観ていた。 二歳で父を亡くし、十三歳で近くのちりめん工女となり、二十七歳で嫁いだ母、嫁ぎ先の夫もまた、村中から 「屑組の屑」 と呼ばれる貧乏大工の次男坊であった。
新居は敷きの十畳の木小屋、姉が高校に入ったとき 「ようあの家で高校へ入れたらあたなあ」 と言われたと泣いていた姉、その家に私は生まれ育った。 窓ひとつないその家にも、お内仏が置かれ、皆での朝夕のお参りがごく自然であった。 貧しいとも辛いとも苦しいとも厭だとも思うことなく、父母姉の慈愛につつまれ私は育った。
父や母、姉にとって、日々の暮らしそのものが途方もない 「修行」 であったのではなか。 「修行」 といえば、仏道始め自分の目指す道に、すべてを振り向け、ただそのことを目指し精進することを指すのであろうから、日々の暮らしは 「修行」 というより、むしろ 「修業 (業を修める)」 というのが適切かも。
生きるに立ち塞がる日々の暮らしのすべての事どもは、自らに課せられた、誰も代わってはくれない課題、営みであり、それを受け超える途を自らで見出さなければならない。 当に「業行」、「業」 に 「歩みを進め=行」 なければならない。 明治末から生きた父も母も、また青春の入り口で途方もない言葉をかけられた姉も、厳しい課題を突きつけられた日々であったのだと思う。
一言で言えば 「苦行=苦業」、お釈迦さまのおっしゃる 「苦諦」 であったのである。 その「苦諦」の日々を、しかし、その日々に柔順に生きた父母姉に、親鸞聖人の 「いつでも何処ででもお念仏」 のお呼びかけがとどいたのではないか。
愛葉宣明師は、この本の中で説いておられる。
ここに説かれている仏教、親鸞聖人、浄土真宗の教えを、父母姉が語ったことはないし、どのようにいただいていたか、私はまったく知らない。 けれども、一文不知の身に、ここに、愛葉師が説かれるように 「誰でも何処でもお念仏」の教えであったればこそ、「私の行く道」 としていただいていったのだと思う。
私を授かり育て、日々の明け暮れに導いてくれた父母姉のその暮らしぶり、生きる姿にこそ、私もお念仏の道に歩かせていただけるようになったのである。
この本とご縁をいただき、何よりも感じ思い起こさせていただいたのは、亡き父母、病苦にある姉のことであり、お内仏に頭を垂れ、「なまんだぶ! なまんだぶ!」 と閑かに座していたその姿、そのみ声である。 何があってもお与えと、日々の暮らしに安んじ生きていた父母姉、そこには、その暮らしのままに、阿弥陀様は寄り添ってくださっているという素朴で、それゆえに固い信心があったのだと思う。
第二章 「人生を変える仏教の教え」 では、仏教の教えは、遠い他所の世界のことではなく、私たちの日々の暮らしそのものの中からお釈迦様が明らかにされ、今も私の暮らしの中にこそ確実に生きていることを、師は、具体的に丁寧に示されている。
師は、執着を全否定ではなく、それぞれについて説き諭されている。
「本当に大切なものにだけ執着しよう」
「お金を求めるのは悪いことではない、足るを知ることが大切」
「お金は、体験に、時間に、布施に」
「愛を慈悲に」
「怒りはよい結果を生まない、二秒の間をつくる」
「他人の評価は自分を失う、自分で自分を評価する、その一つの方法は昨日より変化したか」
「自信がないは周囲と比べて劣っていると思っているだけ、何の役にも立たない価値のない人間は一人もいない、そのとき考えられる一番を選んでベストを尽くす」
「見栄は自己満足、まわりに対し自分を実際以上によく見せようとする気持ち、プライドは自分自身や自分の行動に対する誇り、自分の内側に目を向け自尊心を維持する心、まずは徹底的に自分と家族の幸せを追い求める」
「嫉妬は人の心を蝕む恐ろしい感情、他人と比べることから生まれる、人と比較せず自分にあるものを認めて生かしオンリーワンになったほうがいい、相手に素直に”うらやましい”と伝える」
「お金・愛・他人の評価・見栄などをコントロールすることは、一歩前に進む力になり得る、ただ人の欲は尽きることはないと知っておく、コントロールはお金 愛 他人の評価 見栄などをそぎ落とすことで悩みや苦しみを減らし今をよりよく生きられるようになる、そう断言できる裏付けは親鸞の教え」と。
三毒の本質をそれぞれに的確に示され、三毒の呪縛から解き放たれる道は、親鸞聖人の教えにあると説かれている。 具体的で平易に説かれ、心に落としていただけた。 とともに、よく分かった、これまでから分かっていたと思った私自身、「お前は本当に分かったのか、分かていたのか」 と冷や水を被ったような思いであった。
貪瞋痴の三毒、その具体としての執着、愛 (自己愛) 怒り、見栄、嫉妬等々、ここに述べられているように、私は全くそのままに、どっぷり浸り、その自分に気づくこともなく、私はここまで生きてき、今も生き続けているのではないか。
今朝も、些細なことで妻に罵声を浴びせ 「ほんまに阿呆め」と悦に入っていたが、何も手につかぬ悶々とした一日になっていた。
師は、親鸞聖人を開祖とする浄土真宗の教えを、他力本願の教え、悪人正機の教え、今を生きる教え、念仏を唱える教えの四つ示されている。
他力本願とは自力による修行ではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏すること、阿弥陀仏の慈悲の働きであり、本願とは念仏を唱えた者は必ず往生させようとする願いのこと、親鸞は自力で修行に励んでも悟りは得られないと考えていた、自力ではどうにもならないことがあることを知り、思い悩むのではなく、手放してしまう、親鸞は 「物事は “起こす” のではなく “起きる”もの」 としている、そうすることでムダに抗うことなく、冷静にそのときのベストを考えられる、自分ができること、やりたいことに力を注ぐ
考えてみれば、考えるまでもないことかも知れないが、私の生、存在、私の身体、衣食住、仕事、意識・意志・思考、趣味等々私のすべては、私が作り出したものでは全くない。 よく言われるように、お与えであり、大いなる力に生かされて今を生きている。 その大いなる力を 「阿弥陀の本願力=他力」と言うのだと思う。他力本願の教えとは、それを知って生きよと言うことではないだろうか。それは「どうにもならん、あなたまかせ」 にはならないし、自暴自棄になることもない。 お与えに感謝し、自分に与えられた力を精一杯尽くす生き方になるのだ。 ただこれまでの、そして今の自分を思えば、すべては 「わしが、わしの思いで、わしの力で、わしは正しい、みんな阿呆や!」 が真実である。
だから八十歳を迎えんとするこのときになっても、私の鼻はつんと立ち続けている。
親鸞聖人は 「わしは阿呆や、ろくでなし!」 と、とことん思われたのだ。 和讃をいただいても、厳しい自己省察が吐露されている。 その 「阿呆、ろくでなし」 煩悩にまみれきった自分だからこそ、阿弥陀様はお救いくださる、「弥陀の五劫思惟の願は、親鸞一人のため」 だと聖人はおっしゃている。 親鸞聖人は何というお人なであろうか。 聖人のように、私は私を「愚の塊」 と観ること到底できない。朝夕、お内仏にお参りし、お念仏を称えている私であるが、何を見ても聞いても 「阿呆めばっかしや!」 と思い、口に出る。 自分だけが正しいという自分が居つづけている。 口先では謙り、頭を下げてはいるが、内心は
善人様々、この私はどこへ行くのであろうか。
親鸞の 「即得往生」 は、死んでから浄土に行くことではなく、不退転の境地に住むこと、「不退転の境地」 とは、自分の人生に意義と希望を持って生きることであり、「浄土に生まれると定められた人の仲間になった」ということ、自力を捨て他力に任せることで浄土に生まれると信じることで、この世でに不安や心配は消え去り、過去や未来にとらわれず 「今」を積極的に生きることができる
もう数十年も前であるが、中国語学者の藤堂明保氏が、著書に「旅は楽しい、帰るところがあるからだ。 人生は楽しい、土に帰る旅だから」 と書かれていた。
今に至るまで、この言葉が忘れられない。 行く先の当てのない旅は辛く悲しいに違いない。 帰ってくる家があるから旅は楽しい。 この世の旅、人生という旅にも終わりの時が来る、それはどうにもならぬ。 ならぬものをならぬと知り、行き先を確かにしておれば、生き方は変わるであろうと確かに思う。 「自力を捨て他力に任せ、浄土に生まれると信じよう」 と、すれば 「今」を積極的に生きることができようと、親鸞聖人はおっしゃっている。 聞くは易く、信じることは難し。 それでも私は、お念仏を称えさせいただく日々をと思っている。
私にとって、朝夕お内仏にお参りし「なまんだぶつ」 と称え、正信偈を読誦させていただくことは、父母に従ってそうしてから、もう七十余年になる。 そえは、ご飯をいただいた後の歯磨きと一緒で生活習慣だと言われればそれでいい。 私はそれを有り難いことだと思っている。 歯磨きをすれば、どことなくスカッと気持ちがいい。 お朝事、お夕事、それは私にとって一日のかけがいのないときとなっている。 そこに何があるのか。 一言すれば、自分を観るときといっていいかもしれない。 子どものときであった。 正信偈を読み、お念仏を称えながら 「昨日、たか坊を殴ってやった、今日仕返しされるかも」 「みいちゃんがお菓子くれやんした、みいちゃん大好きや」 といつも何か思い浮かべていた。
それは今も変わらない。 正信偈、お念仏を称えながら、自分の昨日と今日明日にあったこと、ありそうなことをふっと問うている。 常に 「わしは」 に生きている私が、そのときだけは「わしはあかんなあ!」 と思うことしばしばである。
お念仏は、私にとって私をありのままに映す鏡といっていいかもしれない。
「なまんだぶつ」のお念仏は、私には 「おかあさん」 の呼び名と同じようにに思えている。「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏の名号、「おかあさん」 は母の呼び名。阿弥陀仏は、いつでも、どこででも、誰にでも、慈悲と智慧を与えお救いくださる。 母は、いつでも、どこででも、何をしていても、どうか無事でと、私を守りつづけてくれている。 不遜かも知れないが、阿弥陀さまは私の母、私の母は阿弥陀さま、そんな思いが私のどこかにあり、それを私は、大変有り難いことだと思わせていただいている。
この本とご縁をいただき、仏教の教え、親鸞聖人の教えは、死んでからのことではなく、この世に生きている今の日々にあるのだと、強く思わせていただいた。