仏教を「自分ごと」にしてみよう!
これまでの人生において、仏教はどこか「他人事」として捉えていました。亡くなった両親の菩提寺は曹洞宗であり、仏閣を巡ることも好きでしたが、仏教を文化や歴史の一部として認識していただけで、自分自身の生き方と深く結びついているとは考えていませんでした。
しかしこの言葉に出会ったとき、仏教は決して遠いものではなく、むしろ「自分の人生そのものを支える教え」になり得るのではないかと感じました。「自分ごとにする」とは、単に知識を得ることではなく、教えを日々の思考や行動に落とし込み、実践し、体験を通じて深めていくこと。それによって、自己理解が深まり、内面的な成長につながるのではないかと考えました。
人生の節目ごとに、自分の在り方を見つめ直す機会がありました。医師として、人の「生」と「死」に深く関わるなかで、「自分は何を信じ、どう生き、どう死んでいくのか?」という問いに向き合わざるを得ませんでした。その答えを探るなかで、浄土真宗の教えに出会い、そのシンプルながらも奥深い思想に触れました。「阿弥陀仏の本願に生きる」という考え方は、単なる信仰にとどまらず、人生の指針となり得るものだと感じています。
また、今まさに人生の転換期を迎えており、仏教の智慧を学び、実践し、さらに伝えていくことで、自分の進むべき道がより明確になるのではないかと考えています。さらに、「絶対他力」の考え方は、すべてを自力で成し遂げようとする生き方から、必要なことを「委ねる」生き方へと視点を転換させてくれます。その視点を持つことで、肩の力を抜きつつも、自分の果たすべき役割により集中できるのではないかと感じています。
仏教を「自分ごと」にすることは、自分の生き方にその教えを根付かせること。 そして、得度へ一歩踏み出したのは、浄土真宗の教えが人生に新たな軸を与え、次のステージへと導く可能性を感じたから。 今まさに、新たな道を歩み始める時だからこそ、得度という選択が意味を持つのだと感じています。