誰であっても僧侶になれる「得度」への道をご用意しております

第八回「ギブ&テイクの愛は不幸を招く?」

第八回「ギブ&テイクの愛は不幸を招く?」

現代の日本で「あなたの人生で、最も大切なものは何ですか?」と聞くと、「愛」と答える人が最も多いそうです。多くの人がイメージする「愛」は、誰かを好きになることだったり、人に親切にすることだったりと、ポジティブなものでしょう。子どもやペットをかわいがったり、人を尊敬することも「愛」に含まれるかもしれません。

でも実は、仏教では「愛」は否定的に捉えられています。
原始仏教の経典にも「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず」と書かれており、愛から離れた人には“苦”がなくなると言われています。つまり、仏教でいう「愛」とは、愛欲や過度な愛着を持つことを意味し、人、モノ、お金、名声などに執着する心のことだとされているのです。

このように、仏教の言葉では「愛=執着」という意味になりますが、ここでは一般的に言われる「愛」に執着してしまうと何がよくないのかを説明しましょう。「彼がいなくなったら、生きていけない!」と執着してしまうのは、自分の心に欠けている何かを「外側」に求めているということです。

好きな人だけでなく、無理してブランドものを買いあさったり、職場での地位にしがみつくのも同じです。満たされていない気持ちを、他人やモノ、地位などで埋めようとしているのです。

このような執着は見返りを求める行動にも表れます。あるとき、私は知り合いの男性からこんな相談を受けました。「10年以上も付き合っている彼女がいて、行きたい!と言われる場所には必ず連れていき、欲しい!というものは、ほとんど買ってあげている。それなのに、自分から提案するとことごとく断られる」というのです。「彼女は本当は、自分のことを愛していないんじゃないか?」そうこぼしていました。

私がその男性に答えたのは、「彼女がどうというよりも、あなた自身が彼女の行きたいところに連れて行くことや、何かを買ってあげることで幸せならやればいいし、やりたくないことはやらなければいい」ということです。

「モノを買ってあげたから、自分の要望も聞いてもらおう」または「1回言うことを聞いてあげたから次はこちらの番」というような「ギブ&テイク」を求める関係は、執着を生む原因となります。特に恋愛関係においては、何かを差し出したから、同じように返してほしいと期待しないほうがいいでしょう。

もちろん、誰にだって「見返りがほしい」という気持ちはありますから、すべてを否定するわけではありません。でも「何をやってでも相手に気に入られたい」と考えて、ひたすら相手の要望を受け入れていると、行動の基準が自分ではなく他人になります。

そもそも仏教は「あらゆる悩みの原因は、自分の内側にある」と説く教えです。自分自身の「内側」から目をそらし、何かに執着していても、愛情の問題はいつまでたっても解決しません。

そして、何をすれば自分が幸せになるかを見失って、この相談者の男性のように相手の気持ちを疑うようになってしまうのです。自分の心が心地いいと感じる範囲のことは、せいいっぱいやってあげる。そうでなければ、やんわりと断るか、自分のできることで代案を提案すればいいのです。

ちなみに、仏教では「愛」は不要であり「愛」の概念がないと、いうわけではありません。仏教でいう「愛」は、もっと幅広く「慈悲」を指します。「慈悲」とは「抜苦与楽(ばっくよらく)」のことで、これはつまり「生きているすべてが苦しみから解放されて、幸せを得られるように」と願い、行動することです。ただ、まずは自分の「内側」にしっかり目を向けるようにしてみましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

今日から人生を変えるヒントを手に入れる

人生を変えるのに修行はいらない!今日から人生を変えるヒントを手に入れる!

仏陀倶楽部入会申込

仏陀倶楽部入会案内

得度について

得藏寺 得度

仏陀倶楽部公式LINE

仏陀倶楽部公式LINEバナー (1)

この記事を書いた人

仏陀倶楽部事務局

目次