誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

「感謝しなさい」と言われるのがしんどい――報恩感謝は、強いられて生まれるものではない

「感謝しなさい」と言われるのがしんどい――報恩感謝は、強いられて生まれるものではない

「感謝しなさいと言われるのが、しんどいです」

40代の女性の方から、こんなお便りをいただきました。

母に、育ててやったことに感謝しなさいと言われます。会社でも、何事にも感謝の気持ちを忘れないようにと、しょっちゅう言われます。わかっているのですが、つらい時にまで感謝を求められると、心がついていきません。正直、感謝しなさいと言われるのがしんどいです。感謝できない私は、心が貧しいのでしょうか。

「感謝しなさい」は、できることではありません

そんなことはありません。心が貧しいことなど、ありません。

当たり前ですわ。感謝しなさいと言われて、「あ、そうですか、感謝させてもらいます」となる人なんて、いませんよね。皆さんもそうだと思います。

そもそも「感謝しなさい」というのは、言われてできることではないのです。

浄土真宗の「報恩感謝」は、強いられて生まれるものではない

浄土真宗には「報恩感謝」という言葉があります。けれど、これも「やりなさい」と言われて、「あ、そうですか」と、強いて、強いられて生まれてくるものではありません。

そのご恩に自分が気づいた時に、自然と、心の中から湧いてくるものなんですね。

これを「自然法爾(じねんほうに)」と言います。感謝は、こちらが力を入れて作り出すものではなく、気づいたときにおのずと訪れるもの、という教えです。

まずは、しんどいと感じているご自身を認めてあげてください

まずは、今ご自身がしんどいと感じている、そのご自身を認めてあげてください。

心が貧しいわけではありません。何でも押し付けられたら、誰でも嫌なものです。だからまず、「押し付けられてしんどいな」と感じているご自分を、素直に認めて差し上げてください。

感謝は、愚痴から離れた先に自然と湧いてくる

感謝というのは、自然と湧いてくるものです。では、どうやったら湧いてくるようになるのか。

愚痴から離れることです。

愚痴を言っているときというのは、物事のネガティブな面しか見えていません。だから愚痴になる。けれど、どんな出来事にも、必ず両方の面があります。ネガティブな面だけでできている物事は、ひとつもありません。

ネガティブなことに気づいたら、「ポジティブな面はどこだろう」と見てみる。その心の癖を変えていくと、感謝の念は、勝手に自分の中から湧いてくるようになります。

感謝は、させられるものではなく、気づいた時にあふれるもの

だから、感謝は強制されてするものではありません。まずはご自身の心の癖を変えてみる、そのトレーニングをしてみてください。

感謝は、させられるものではなく、気づいた時にあふれるものです。

恩に報いる生き方について、こちらの記事でもお話ししています。

▷ 「恩返し」の実践が人生を切り開く:仏教の教えに学ぶ「感謝の気持ち」と人材育成

ひとりで抱えこまないで

「感謝しなさい」と言われて、素直にうなずけない自分を責めなくて大丈夫です。ひとりで抱えこまず、そっと話してみませんか。登録も利用も無料で、いつでもやめられます。

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この記事をお話しした人

竹下暁蓮(たけした ぎょうれん)
ヨガを続けながら仏門へ。病と、大切な人の喪失を経て、あなたの今に寄り添う僧侶。

約550年つづく浄土真宗のお寺・慈徳山 得藏寺が運営する、誰にでもひらかれた、やさしい仏教の入口「仏陀倶楽部」でお話ししています。

▷ 生きている人に関わる僧侶へ——竹下暁蓮さんが、僧侶という生き方を選ぶまで

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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