近年、欧米などでは「バーンアウト」という状態が問題になっているらしい。
バーンアウトとは、直訳すれば「完全燃焼」となり、なんだかポジティブな印象にも思えるが、実際に燃え尽きているのは「生きる意志」や「力」といったものであり、自殺率も実際に増えているようである。
このような自殺率の増加は、何も欧米だけに限ったことではなく、先進国では年々増加の一途をたどっているようである。
ただ私は、「親からもらった命を粗末にするな」とか、「自殺なんてしたら地獄に落ちる」といったようなことを言いたいわけではない。
日本では、今よりも厳しい時代であった明治39年の自殺者数は5,932人。
それに対して、平成24年までは3万人、以降は減少傾向にあるものの、令和の今でも年間2万人ほどが自ら命を絶っている。
もちろん、自殺者すべてがバーンアウトの状態であるわけではないし、皆が横一列に貧しい状況下では、むしろ助け合いが見られる場合もある。
また、戦争中や紛争地域では自殺者数が減少するというデータもあり、これは非常に不思議なことである。
私の身近な知人にも、自殺を選んだ方が一人いる。
その方は、理想(あるべき自分)と現実の自分とのギャップに、常に苦しんでいたように思える。
彼は元・暴力団の構成員で、若い頃は肩で風を切り、周囲にも恐れられて生きてきたらしい。
しかし、暴対法の施行以降、「ただの人間」になったとき、周囲の“自己責任”を根拠とした正しさに染まることができず、馬鹿にされる自分に耐えきれなかったのかもしれない。
現代社会は、あらゆる物事が可視化され、私たちは常に“他者との競争”を求められている。
その競争に追い立てられるようにして、人々が脅迫観念にとらわれているようにも見える。
実際、私自身も「老後の2,000万円問題」や「孤独死問題」などに不安を抱きつつ、常に財産や資産の増加に追われ、老後の生きがいを求めて手に職や教養を得ようと無邪気に行動してきた。
だが、目標を達成したところで、また新たな問題を見つけ出しては、自分に鞭を打つ。そんなループの中にいるようにも感じる。
そう考えると、現代ビジネスにおいて重視されている「問題解決能力」も、競争社会では有利なスキルかもしれないが、そもそもの競争から脱落してしまった人間にとっては、精神的な救いがほとんどないのではないだろうか。
圧倒的に自力や実力が足りない現実に直面したとき、「他力」の生き方は、もしかすると救いになるのかもしれない。
これは決して「怠けている」ということではない。
ここまで徹底的に可視化・数値化され、何もかもが「自己責任」と「自助努力」で片付けられてしまう今の社会において、それを自分にも他者にも求め続けることは、もしかしたらとても酷なことなのかもしれない。
とはいえ、他人の生み出した何かにただ乗りする“困った人”がいるのも確かである。
仏教の経典に描かれた、美しく秩序ある世界というのは、自分自身の内側にしか創り得ないのかもしれない。






















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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