書いた人:レーン由香
身近な人の「余計な一言」に、悪気がないと分かっていても心がモヤモヤすることがあります。その原因を相手の言葉だけに求めるのではなく、自分の心の反応や、相手が置かれている状態から見つめ直すと、受け止め方も変わってきます。本レポートでは、日常の人間関係で感じるモヤモヤを、仏教的な考え方と実践から見つめています。
余計な一言に感じていたモヤモヤ
身近に、悪気なく余計な一言を言う人がいます。
私はいつも、
「それ、言う必要あるのかな?」
「それを言われた相手のこと、考えたことあるのかな?」
「どうしていつも一言余計なことを言うんだろう?」
という感じで、心がモヤモヤしていました。今回の学びは、このモヤモヤの原因と対処法についてです。
相手の言葉ではなく、自分の心を見る
仏教的な考え方として、「モヤモヤの原因は相手の言葉そのものではなく、私がその言葉に過剰に反応してしまい、心が乱れることから生まれる」ということでした。
相手はおそらく自己承認欲求や不安、焦りといった「煩悩」に振り回されている状態なのだと、少し俯瞰して見てみる。そして「諸行無常」。余計な言葉もいずれ消え去るものだから、自分の心にいつまでも留めておく必要はない、ということでした。
受け流し、距離を置く
対処法は、相手の言葉を真に受けて心を痛めず、「また何か言ってるな」と軽く受け流すこと。
同じ土俵に立って言い返したりせず、無駄なエネルギーを使わない。そして、物理的・精神的に距離を置いて「悪縁を遠ざける」ことも、大切な仏教的な智慧だそうです。
対処法のほうは最近実践できているような感じなので、以前ほどのモヤモヤはなくなってきました。それに加えて、相手の状態を理解して受け入れることで、さらにモヤモヤが減りそうな感じがしています。
これからも周りの人と向き合い、自分と向き合い、一つずつ理解して受け入れて、生きる智慧にしていけば良いなと思いました。
南無阿弥陀仏。




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
コラム一覧 → こちら