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食べ過ぎもまた、命を粗末にすること

食べ過ぎもまた、命を粗末にすること

書いた人:釋明淳

食べ物を残さないことは、昔から大切にされてきた考え方です。一方で、残さないために必要以上に食べることは、本当に食べ物を大切にする姿勢といえるのでしょうか。本レポートでは、「いただく」という行為を、量や満腹感ではなく、命への向き合い方として見つめ直します。

残さないことだけが善ではない

食べ物を粗末にしないという考えは尊いものです。
しかし、その本質を見誤ってはならないと思います。

ただ残さずに食べ切ることが、善なのではありません。
必要以上に食べることもまた、命を無駄にする行為です。

本来、食とは、身体に必要な分だけをいただくものです。
それを超えて口に運ぶとき、私たちは「いただく」のではなく、「消費している」に過ぎないのかもしれません。

食べ過ぎが奪うもの

過剰な摂取は、食材の命を活かすどころか、身体に負担をかけます。
そして、時間や活力を奪い、結果として命の質を下げてしまうこともあります。

つまり、食べ過ぎは、食べ物を残すことと同じくらい、いやそれ以上に、命に対して不誠実な行為なのではないでしょうか。

静かに箸を置く節度

ゆえに、最も誠実な食べ方とは、残さず食べることでも、満腹になることでもありません。
必要な分だけをいただき、静かに箸を置くこと。

その節度こそが、命への敬意なのだと思います。

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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