書いた人:伊藤勇気
日々の生活の中で、何も起こらず「普通に生きる」ことは、思うほど簡単ではありません。予想外の出来事や出会い、別れ、気づかないほど小さな変化の中で、人はいつも揺れながら生きています。本レポートでは、「良いこと」「悪いこと」と分けて見てしまいがちな日常を、もう少しこまやかに感じ取る視点から見つめ直します。
「普通に生きる」とは何か
日々の生活を送る上で、「普通に生きる」ことは、なかなか難しいものです。
物事の大小はあれど、何かはいつも起こります。だいたい、自分の思い通りには進んでいきません。予想もしない出来事や、出会い、別れがあります。自分の人生に大きく影響を与えるものから、自分でも気づかないような微細な事象まで、さまざまです。
さらには、おそらく人間の五感では感知できないようなさまざまな要素にも影響されていて、知らず知らずのうちに、何かの変化の中で生きているのだと思います。
良いことと悪いことのあいだ
ここまで書いて、これを読んだ方はどう感じるのでしょうか。
「良い方向の話」と感じますか。それとも、「悪い方向の話」と感じますか。
それは、読む人の「普通」の考え方で変わるのだろうと思います。
私たちは「良いこと」と「悪いこと」の二極で判断しがちです。けれども、想像できないくらいさまざまな要素の中で生きているのだから、この二極の間には、すごく鮮やかなグラデーションがあるはずです。
このグラデーションの中に判断基準を持っていくことで、物事の「感じ方」を変化させていくことは、十分に可能だと思います。
変化を味わいながら生きる
それを理解して日々の生活を送ってみると、「普通に生きる」ことは不可能なのではないか、と気づきます。
むしろ、さまざまな要素をじっくりと見極めて、味わいながら感じて生きていくほうが、より人間らしく、楽しく生きられるのではないでしょうか。何事も気張らずに、自分らしく。
南無阿弥陀仏。
















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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