書いた人:仏陀倶楽部 会員
腹が立つ出来事に直面したとき、相手の非だけを見て終わるのではなく、自分にできたことはなかったかを振り返る。本レポートでは、日常の具体的な場面をたどりながら、怒りの感情とどう向き合うかを考えています。三毒の一つとされる瞋りを、四無量心の実践につなげて見つめ直していく流れに、日々の行動を省みる視点があります。
怒りが起こる場面を振り返る
私は、しばしば「怒り」の感情が起こります。それは、私が何もしていないのに、外部から何らかの暴力を受けたときです。「暴力」だけでなく、「暴言」や「迷惑」な行動などに対しても腹が立ちます。
私の中で怒りのコントロールは難しく、僧侶の勉強を始めさせていただいてからも、理論ではわかっていても、怒りの感情が沸き立つことがたびたびありました。最近でも、「出口で後ろから強く押され、倒れそうになったとき」「電車で酔った人に嫌な絡まれ方をしたとき」「車の運転中、急に前に割り込まれたとき」など、私は怒りを感じ、声をあげることもありました。
怒りは、人間の煩悩、三毒(貪瞋痴)の一つであり、一瞬で心を焼き、判断力を奪い、他者も自分も傷つけ、何も生まないとされています。何とかこの怒りを自制しなければいけないと考え、それぞれの状況を振り返り、どうすれば改善できるのかを考えてみました。
相手だけでなく、自分にできたこと
まず、出口で後ろから強く押されたときは、後ろの人にとって私が邪魔になっていたのかもしれません。私が後から出るようにしていれば、怒りを感じることはなかったかもしれません。酔っている人に絡まれるのが嫌であれば、私がその人のそばを離れていれば、絡まれることを避けられたかもしれません。車の急な割り込みも、私がもっと余裕を持った運転をしていれば、避けられたかもしれません。
私はこれまで、すべて「自分は悪くない」という認識を前提として、相手に対する怒りを感じていたことに気づきました。ある意味では、自分への執着です。
もし私が、事前にもっと配慮ある行動ができていれば、私自身が怒りを感じることはなかったのかもしれません。自分が何も悪いことをしていない、というだけでなく、悪い状況を避けられるような行動をしていればよかったのです。私には、怒りを感じる前にできることがあったのです。
四無量心を実践につなげる
自分が何もしていないと感じるときでも、できる配慮をもって行動していれば、自分が怒りを感じることを避けられるかもしれません。
自分がさまざまな「縁」の中で、四無量心(慈・悲・喜・捨)をもって、今何ができるのかを考えて行動していければ、それは自分への報いにもつながると思います。そうすれば、怒りを感じることも少なくなり、たとえ怒りを感じたとしても、事態を避けられなかった自分への反省として受けとめられるかもしれません。怒りの感情が外に向くことも、少なくなるのではないかと思います。これからも実践を重ねていきたいと考えています。
南無阿弥陀仏。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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