僧侶といえば剃髪して頭を丸めている(スキンヘッド)のイメージが強いと思いますが
浄土真宗は髪を伸ばしている僧侶の方が多いかと思います。
仏教は「戒律を守り、厳しい修行をしなければ救われない」とされていましたが、浄土真宗では「念仏を唱えさえすれば誰でも救ってくださる」という教えなので、剃髪をする必要がないわけです。
親鸞聖人も漫画などでは剃髪されているようですが、実際は髪の毛を伸ばしていたと言われていたり、また浄土真宗ではそれまでの仏教で禁止されていた肉食や妻帯も認められていました。
髪の毛は煩悩の象徴という意昧があるとも言われていて、欲望の気持ちは、断ち切ってしまうことはなかなか離しいし、たとえいったん断ち切ったとしても、再びそんな気持ちが湧いてくることから、切っても(剃っても)また生えてくる髪の毛と似ているということだそうです。
では僕自身は煩悩を断ち切るために剃髪しているかと言われたらそうではないです。
髪の毛を伸ばすと頭皮がものすごく荒れてしまうのです…
もしかしたら髪の毛のと言う煩悩が僕の身体を脅かしているのかも知れませんね笑
僕は毎日剃髪し、スキンヘッドではありますが、髭は生やしています。
昔は髭が濃いことが悩みでコンプレックスで1日2回剃って肌はボロボロでした…
髪が煩悩であるのならば、髭もきっと煩悩だと思うのですが、煩悩を完全になくすと言うよりは煩悩がある自分を認め、煩悩と共に生きていくことが大切なのではないでしょうか。
(なので今は自分の髭が気に入っています)
お風呂場で頭を剃りながらふと考えたお話でした。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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