誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

第三十二回「執着を手放す〈人間関係〉」

第三十二回「執着を手放す〈人間関係〉」

自分の好きなものや人に囲まれた人生を送りたいのであれば、まずは今ある環境を、先に「好きなものや人」だけに整えていくことが、とても重要です。そのためにできる小さなステップの一つが「気が乗らない誘いを断ること」です。

よくあるのが、あまり気乗りがしないけれど、誘われて断りきれずに行ったら、それなりに楽しかったということ。そうした経験があると「今夜は好きなアニメを見よう」と決めていても、飲みに誘われると「行ったら行ったで楽しいかも?」と思い、つい出かけてしまう。

でも私は、本当に会いたい人の誘いでなければ、自分でやりたいことがあるなら断るようにしています。「なんとなく楽しい」よりも、心から楽しいことを優先したいからです。

もしあなたが、今後も付き合いがあるし、断りづらいと思うのであれば「用事があるから、ゴメン」と言えばいいのです。また、「一度断ったら、二度と誘ってくれないかも?」などと心配せずに、思い切ってやってみてください。思った以上に相手は気にせず、「また、今度!」となるはずです。

自分を幸せにするために「断る」練習は、日常生活のこんな場面でも実践することができます。たとえば、カフェに行って、店員さんに「抹茶オレがオススメです!」と言われても、ほんとうはブラックコーヒーが飲みたいのであれば「あ、またにします。ブラックコーヒーで」と断るのです。

この最初の一歩を乗り越え、「断る」ことに慣れると、自分を大切にしてあげた満足感と、どちらでもいいような状況に時間を使わずに済んだ爽快感が湧いてきます。そして少しずつ、苦手な状況に身を置かなくて済むようになるのです。

もう一つは、人に迷惑をかけてもいいと知ること。人間関係に悩む人の多くは、とても「がんばりや」であることが多い。がんばって、ガマンして、努力して、自分を犠牲にしてでも、家事や仕事に力を注ぐ。そして「わがままは良くない」と信じて、人に迷惑をかけないように自分の気持ちを抑えて行動する。

でも、それほどまでにがんばったからと言って、ものすごく感謝されるわけではないし、莫大な金銭的な報酬を得られるわけでもない。そして「報われない」気持ちを抱えながらも、がんばることをやめられないでいて、どんどん不満が蓄積するのです。

またがんばる人は、無意識のうちに、他人にも自分と同じようにガマンしたり、がんばったり、気を配ったりすることを求めます。そして、相手が期待通りに振舞ってくれないとイライラするのです。

私は、こうしてがんばりすぎる人の心には「人に迷惑をかけてはいけない」、そして「迷惑をかけたら嫌われる」という観念があると考えます。でも、がんばる人の考える「迷惑」は、相手にとって迷惑ではないことが多いもの。まわりは逆に、「あの人、なんであんなに抱え込んでがんばっているんだろう?」「こっちにまかせてくれればいいのに」と思っていることがよくあります。

私もまだ、経営者だったころは、社員がみんな「デキないやつ」に思えて、自分一人ががんばっていると感じて、いつもイライラしていました。でも実際は、一人一人に得意、不得意があり、それぞれの得意にまかせて頼ってしまえば、力を発揮してくれますし、自分もラクになります。

そのことに気づいてからボクは、自分が苦手なことは人に頼るようになりました。頼られれば人はうれしいですし、頼んだ以上のことをやってくれることも少なくありません。また、自分が人にお願いごとをするようになると、相手から何か頼まれても快く引き受けられるようになります。「お互いさま」という気持ちになり、イライラすることが減っていき、人間関係がスムーズになるのです。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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