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歎異抄が教える「救いの気づき」:自力の限界を超え、他力に委ねる心の軽さ

『歎異抄』が示す、自力の限界と「手放し」の救い

『歎異抄』には、「念仏を称えようという心がおこった時点で、すでに救われている」との趣旨が記されています。この言葉を通じて私は、「他力にすがる」という表現に象徴される、自力の限界を知ること、そしてそのうえでの「手放し」こそが、救いの本質なのではないかと感じました。

人生の苦しみは「自力で抱え込む姿勢」から生まれる

人は人生の苦しみの中で、どうしても自分では乗り越えられない壁や、どうにもならない出来事に直面することがあります。そのような場面で、私自身もこれまで深く落ち込んだり、心を疲弊させたりした経験があります。

しかし今振り返ると、それは自分の力で何もかも解決しようとしていたがゆえの苦しみだったのだと気づきました。自分の無力さを認め、すべてを自力で抱え込もうとする姿勢が、かえって自己を追い詰めていたのです。

「念仏申す」ことで得られる心の軽さ

自力の限界を認め、すべてを自力で抱え込まずに「念仏申す」(他力本願の姿勢)という姿勢になったとき、心が軽くなっていきました。

おかげで、人生観や努力のあり方を再構築することができました。歎異抄の教えが指し示すのは、私たちが普段抱える重荷から解放される道です。この導きを与えてくださった親鸞聖人に深く感謝しています。仏教の真髄を学び、日々の生活を軽やかに生きていくことこそ、私たちの求めている「救いの気づき」でしょう。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員、仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰でもすぐ「得度」をできる活動を推進中。