私の重度心身障害者への訪問介護事業者という仕事柄、重度障害のある方々との日々が当たり前になり、良い意味で一般的に健常と呼ばれる方々と全く違いを感じずに接するようになりました。
その方々が自宅を出たり、医療、福祉関係、または障害のある方への理解が深い方々から離れて普通に出先で過ごそうとすると、ほとんどの方が助けてくれたり、気にかけてくれます。
しかし障害のある方(←誰でも何か障害はあるのですが、、、)ご本人は、私の事を特別視されるから外では気が休まらない。とおっしゃる方もいます。また介護が必要なくらいの障害を、身体または精神に受けたばかりの方も当然、苦しみに突き落とされます。それは、自身の体だけで無く、その方が世帯主であれば経済的にも、また一緒にいるご家族も大変な事になります。
それも突然、事故や病気でなる場合には受け入れるのに何年もかかります。また生まれつきの方の場合は、その状態しか知りませんので、大体ですが幼稚園や小学校入学時に、なぜ自分は普通に学校に行かないのか?から、他人との比較が深まり、実感される方が多いように感じます。
テレビや映画、スポーツでは比較的障害を乗り越えて明るくポジティブに生きると言うイメージが多く、また障害のある方が悪事を働かないイメージあり、品行方正な風な概念が強いと感じますが、接すれば当たり前ですが誰しも弱音もはきたい普通の人間です。前置きが長くなりました。
仏教では前世の悪業からこうなったのか?
自分は迷惑ばかりかけてきたからか?
何も悪いことしていないのにどうして?
仏教徒として説明しなさいとよく言われました。昔は上手く言えませんでしたし、仏教に詳しい方ですと、障害も色即是空なのか?そうは思えないとか、来世は良い体に生まれてこられるかな?など言われました。
一切皆苦の話しやカルマの話しをしても、概念vs概念ですから納得してもらえません。しばらく考えて少し浮かんできた事を話したところ、いつもより良い説明だと(笑)言われました。
それは生まれつきや起きてしまった事を解決するのは、理屈や概念では難しく、また社会や民主主義だけでも対応する事しか出来ない、仏教こそ、ここで力になるはずだと感じました。無常や空、縁起の話しの前に必要と勝手ながら浮かんできたのが、仏教は、様々な苦しみがすでに起きてしまった後、もちろんその原因をあきらかにしたい気持ちも痛いほど想像出来ますが、そこは同情する事くらいしか出来ません。
しかし今、まさに苦しみ最中であれば、原因の究明よりも間髪入れずに今の苦しみを何とかするしかありませんので、まずは自身の状況の受け入れと、そこからどうしたいか、どうなる方向が良いかを見つけていく方向が重要だと教えているように感じます。何が起きるかはわからない人生ですから、、、と当たり前の話しをした時に、何か納得されたのか良い反応をいただいた経験が数回ありました。
無意識に出た言葉に感謝が湧きました。


















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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