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過去への後悔と未来への不安――仏教が教える「今」の大切さ

過去への後悔と未来への不安――仏教が教える「今」の大切さ

書いた人:釋 隆雲

長年付き合ってきた取引先を続けるか、新しい取引先へ変更するか。経営者にとって、先の見えない決断には不安がつきものです。後悔したくないという思いも、まだ起きていない未来への心配も、私たちの日常に深く関わっています。仏教では、過去への後悔や未来への不安をどのように捉えるのでしょうか。

取引先の変更に揺れる経営者の悩み

先日、建築会社を営む知り合いから、こんな相談を受けました。

「仏教とは関係ないかもしれないけれども、今、仕事の取引先を変更しようとしています。これまでの取引先は入金の約束も守るし、長い付き合いですが、どうも今後は厳しいという噂が出ています。そんな中、新しい取引先が声をかけてくれました。新しい取引先のことは詳しくはまだわからないのですが、チャンスかもしれません。ただ、取引先の変更で後悔はしたくないし、新しい取引先が信用できるかも不安です」

話の内容から、「気持ちは新しい取引先への変更で決めているように感じますが、経営者としては不安になるのは当たり前です」と、まず話しました。

「自分もそうですが、朝から晩までジャッジと葛藤の繰り返しですよ」と話すと、「他力本願で委ねて楽になりませんか?」と聞かれ、こちらが怖気づきましたが、「委ねきれないからこそ、仏教の教えが必要なんだと思います。いつも迷っているからこその南無阿弥陀仏だと思います」と話しました。

すると、「そうですね。すべて委ねられるなら迷いませんね」と言われたので、「私は迷っても迷わなくても、すべて南無阿弥陀仏そのものですね」と話しました。

理解のある方ですので、「そうか、どうであっても南無阿弥陀仏でなければ、委ねきったとは言えないですものね!」と、彼の深い理解を感じ、嬉しくなりました。自分が同じ立場だったら、もっと右往左往していると思います。さすが百戦錬磨の建築会社の社長です。

後悔は過去、不安は未来への執着

私が言うのも偉そうですが、仏教では、後悔は過去のこと、すでに過ぎ去っていることへの執着であり、不安はまだ起きていない未来への執着と説きます。

両方とも、自我=煩悩が起こす思考による迷いです。この後悔と不安の中で、一番大切でありながら自我では掴めないものがあります。それが、時間では定義できない「今」です。

過去を思い出して苦悩している瞬間も、未来を予想して不安に苦悩している瞬間も、それらが起きるときはいつも「今」です。今にしか事象は起きないですし、本当はそれしかありません。

しかし、自我の特徴として、その今がわかりませんので、過去と未来ばかりにいます。これが迷い、葛藤と教えられています。実際には、過去の経験を糧として未来を想定しながら生きるわけですが、それでもいろいろな問題は浮かびますし、不安も現れます。

それでも、今できること、リアルな今に注力することで、過去と未来の思考のパワーを弱めることができるかもしれません。

迷いながらも、今を生きている

「悩んでいても、足などをぶつけたりすると、思考が止まって『イテーッ!』だけに一瞬なりますから、その瞬間は今ですね」と言うと、「どういう結果になろうと……いえいえ、困りたくはないのですが、委ねるしかないですね」と、少し楽になったように見えました。

仏教は夢物語とは逆ではありますが、現実をリアルに受け止めさせてくれるパワーを感じました。

南無阿弥陀仏。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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