Report by 釋 明淳
言葉の棘:心に残る傷と仏教的内観
「言葉は心に刺さるから殴られるより痛い」──現代社会において、言葉の力が持つ破壊性と創造性を深く理解することは、心の平穏を保つ上で欠かせません。
なぜ言葉の暴力は身体的な傷より深いのか
肉体の傷は時間とともに癒えますが、心に刺さった言葉の棘は、何年経っても抜けないことがあります。とくに「人格を否定する言葉」や「信頼していた人からの一言」は、“見えない傷”として残り続けます。
これらの傷は、単なる記憶として残るだけでなく、人生観や自己肯定感にまで深刻な影響を与えることがあります。これが、言葉が持つ、身体的な暴力とは異なる種類の重さです。
現代社会における言葉の「矢」
SNSやネット社会では、言葉の矢が無限に飛び交っています。誰かを叩く言葉、皮肉、冷笑──それらは「殴られない暴力」である、心理的暴力です。
目に見えない分だけ、発する側の罪悪感も薄れやすいのが現状です。しかし、受け取った側にとっては“心に一生残る青あざ”になることもあります。匿名性によって増幅される言葉の暴力は、現代の大きな問題と言えるでしょう。
仏教的視点:三業の中でも重い「口業(くごう)」
仏教では「業(ごう)」、つまり人の行いは「身・口・意(行動・言葉・心)」の三つから成るという考え方があります。これを「三業」と呼びます。
その中でも「口の業(くごう)」は最も軽く見られがちですが、実はその影響は計り知れないほど重いものです。なぜなら、言葉は他者の心を直接的に動かし、深い苦しみを与える力を持つからです。
「悪口」は心を打つ矢である
仏教においては、「悪口を言う」行為は、単なる音や空気の振動ではありません。それは、他人の心を打つ「矢」を放つ行為なのです。この業は、巡り巡って必ず自分自身に返ってきます。
言葉を選ぶということは、自身の業を選ぶことと同義です。仏教の教えは、私たちに常に自らの言葉を内観し、無益な悪口や軽率な発言を避けるよう促しています。
結び:言葉の力を知るということ
「優しい言葉」は最大の武器であり、同時に最大の救いでもあります。言葉ひとつで人を壊すことも、再び立ち上がらせることもできる。これが言葉が持つ真の力です。
言葉の重さを知った人間は、もはや軽々しく言葉を使うことができなくなります。仏陀倶楽部 愛葉代表の教えの通り、私たちは日々の言葉遣いを見直し、慈悲の心をもって他者に接する努力を続けるべきでしょう。


















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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