書いた人:伊藤勇気
深夜に届いた「僕、頑張っているよね?」という一言。仏教を学んでいるからこそ、「頑張る」という言葉をどう受け止め、何を返すべきか迷うことがあります。本レポートでは、教えの形にそのまま当てはめるのではなく、相手の日頃の姿や、そのときの状況を見ながら言葉を選ぶことの大切さについて振り返ります。
深夜に届いた一言
「僕、頑張っているよね?」
たった一行の、そんなメッセージが深夜に入る。
一体いきなり、どうしたんだろうか?
何か誰かに、言われたのだろうか?
人は誰かに認められたい。
人は誰かに褒めてもらいたい。
人は誰かに必要とされたい。
それらを感じて、安心を得たい。ごくごく自然な感情で、誰しもが思うことです。
そのときに必要な言葉
仏教的な教えでは、「頑張る」ことは「我を張る」こと、とあまり良い意味ではないように捉えるといいます。
でも、こんなときにそんなことを言っても仕方ありません。このメッセージに「頑張らなくていいんだよ」と答えることに意味なんかないと感じて、「この住みづらい世の中で、よく頑張っているじゃないか」と思ったので、そう答えました。
何か一つ、仏教的な考えから外れたような気もしたが、形にこだわっても仕方ありません。
教えと伝え方
自分や他人がより良く生きていくために、仏教について勉強しています。
仏教にもさまざまな経典があり、宗派があるように、教えにこだわりすぎることなく、状況に合わせて伝え方を変えていくことは大切なのだと感じています。
そのためには、もっと知識を深めることも大切だなと、改めて感じます。今回は、その人の日頃をよく見ていて自然に出てきた言葉でした。
この感覚は大切にしたい。
南無阿弥陀仏。




















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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