書いた人:レーン由香
毎日の掃除は、汚れた場所をきれいにするための家事である一方、仏教では心を整える修行にも位置づけられています。本レポートでは、犬や猫の毛、家族が散らかした部屋を黙々と掃除する中で生まれた気づきと、目の前のことに集中することで得られた心の変化を振り返ります。
掃除を仏教的に考えてみる
最近、日々の生活の中で「これを仏教的に考えたらどうなるだろう」と考えることがあります。今回は、「掃除をすること」についてです。
仏教における掃除は、「心を磨く修行」である作務(さむ)の一つとして位置づけられています。以前、会員の方が周利槃特のお話をされていましたが、私も改めて、掃除とは「自分の心を掃除すること」なのだと思えるようになりました。
目の前の汚れに集中する
これまでは、犬や猫をブラッシングしても毛があちこちに落ちていたり、息子が汚したり散らかしたりするので、目に見えて汚いから掃除をしている、という感覚でした。しかし今は、掃除をしながら、これも日々の学びや修行の一つなのではないかと感じています。
もともと音楽などは聴かず、黙々と掃除をしていましたが、今までよりも少しだけ目の前のことに集中することで、自分の心もきれいになっていくように感じられるようになりました。
これも、マインドフルネスの一つなのかもしれません。掃除をすると、家も自分の心もすっきりします。一石二鳥で、少し得をしたような気持ちになります。
息子との日課のようなゴタゴタはさておき、この一週間も、私個人としては穏やかな日々でした。このまま続けばよいと正直に思いますが、今日は今日、明日は明日です。何が起こったとしても、落ち着いて対処していこうと思います。






















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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