誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

得度式から二週間:怒りが慈悲へと変わる、僧侶として見えた自己の愚かさ

得度を経て、モノの見方に起きた根本的な変化

得度式から二週間が経過しました。直後から、私はモノの見方に根本的な変化があるのを感じていました。当初は何がどう変化したのか、ぼんやりとしかわかりませんでしたが、この二週間を経て、徐々にその本質が見えてきました。

それは――今までの自分がいかに愚かで憐れな生き物であったか、思い知らされているということです。

わがままにやりたい放題だった過去。その行動の理由や言い訳を自分に都合よく作り上げ、それで自分自身を納得させていました。このような愚かな自己は、結果として他人に対しても厳しく、「なんでできない」「なんでわからない」と、常に怒りの感情を持ち続けていました。

怒りから慈悲の心へ:内省がもたらす転換

僧侶となり、最も劇的に変化したことは、この他人に対する怒りの気持ちが、憐れみ(慈悲)へと変化しつつあることです。

以前は「なんでできない」と他者を詰める視点でしたが、今は「(私が)できるようにするには」というサポートの視点に変わりました。「なんでわからない」は「(私が)わかるようにするには」という建設的な姿勢へと転換しました。

この怒りから慈悲へと変化しつつある考え方を、今後は仕事においても実践していこうと思います。この視点の転換こそが、得度がもたらした大きな恵みです。

親鸞・法然に学ぶ「自己の愚かさ」の自覚

なぜこのような変化が起こったのか。それは、なによりも自分自身が、誰よりも愚かで憐れな生き物であると自覚したからです。

歴史を振り返れば、あの偉大なる先人お二人、親鸞聖人は『愚禿親鸞』、法然上人は『愚痴の法然』と、自らそう自覚されていました。煩悩を抱える人間性を深く見つめたお二人の姿勢は、自らを深く内観することの重要性を示しています。

まして私自身が、お二人と比較して愚かで憐れでないはずがありません。この「自己の愚かさ」を認めることが、他者への怒りを手放し、慈悲の心を持つ第一歩となりました。残りの人生、慈悲の心をもって生き方を正していこうと思います。

このような深い気づきを与えていただいた、この度の得度に心より感謝申し上げます。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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