社会に出た後、私たちの人生は理不尽なことだらけに感じられます。会社の上司やその指示はだいたい理不尽ですし、結婚したり子どもができたりすると、毎日が理不尽の連続です(苦笑)。
なぜ世の中はこんなにも理不尽なのか?
私たちは日常のあらゆる場面で「理不尽さ」に直面します。
頑張りが報われない組織での理不尽
どんな組織においても、仕事はできる人に集中するものです。その一方で、やるべきことをやらず、成果を出していないのに、不公平だと感じる報酬や評価を得ている人もいます。身を粉にして組織のために努力しているのに、誰も見てくれていないと感じたり、成果を横取りされたと感じることもあるでしょう。自分にはまったく非がないのに、理不尽に叱られたり責められたりするだけでなく、時には降格や左遷といった実質的な被害を被るかもしれません。
人間関係や人生の巡り合わせの理不尽
人間関係においても、どんなに頑張っても相手に思いが伝わらないことは多々あります。それどころか、こちらの好意が無にされて、逆恨みされるような経験をするかもしれません。また、順風満帆に行っているような時に、病気や怪我をしたり他人に足を引っ張られたりしてチャンスを失い、「なぜ自分だけがこんな目に?」と感じる時もあるでしょう。
世の中は何でこんなに理不尽なんだろう…自分は何て不幸なんだろう…と思い悩んで落ち込み、何もやる気がなくなってしまう時が来るかもしれません。
理不尽を克服し、「突き抜ける」ための仏教的視点
実は、上記のような「理不尽さの感覚」は、社会に出たり、何かの組織に所属したり、家庭を持ったりした人の、ほとんどが感じたことがあると言われる項目をまとめたものなのです(苦笑)。世の中の多くの人が、このレベルの理不尽さを常に感じながら生きていると言っても過言ではないでしょう。
もし、理不尽さを感じて辛くなった時は、「みんながそう感じている」と考えるだけでも少し楽になるかもしれません。
理不尽な状況を「突き抜ける」覚悟
しかし、それだけでは理不尽さを克服できないと感じる方もいると思います。私の経験で言えば、理不尽なことをも突き抜けてしまうと楽になります。「出る杭は打たれるけど、出過ぎた杭は打たれない(抜いてもらえる)」という感覚です。
例えば仕事上で言えば、誰にも文句を言わせないくらいのことに取り組み、他の追従を許さないくらいの成果を出してしまうのです。そこまで行けば、理不尽な上司も認めざるを得なくなります。
高齢パパとして理不尽な子育てを乗り越える
私は間もなく還暦を迎えますが、まだ小さい子どもを4人育てています。親にとって、小さい子どもたちほど理不尽な存在はありません。時間やタイミングなどまったくお構いなしで様々なことを主張して来ます。私は、多子家庭の高齢パパとして第一人者となれるくらい突き抜けた存在になってしまおうと覚悟を決めました。この10年間くらい全力で取り組み、メディアでも取り上げられる機会も増え、ある程度目的は達成できたと思っていますが、今になってみると、子育ての理不尽さはどこかに飛んでしまったように思います。
仕事も家庭も人間関係も、理不尽なことから逃げていたら、克服できず潰されてしまうのだと思います。理不尽さと戦う必要はありませんが、ある場面では理不尽なことを乗り越えて、突き抜けてしまうくらい立ち向かってみてはいかがでしょうか?
















