書いた人:仏陀倶楽部 会員
高齢の親の運転に不安を感じたとき、免許返納をどう伝え、その後の暮らしをどう支えるか。安全を考える子の思いと、これまでの生活を続けたい親の思いがぶつかる、簡単には答えの出ない問題です。本レポートでは、一人暮らしを続ける父親との実際のやり取りを通して、「方便」や「無常」といった仏教の教えを手がかりに、老いと親子関係への向き合い方を考えます。
父の運転に感じ始めた不安
これは非常に難しいテーマです。私も高齢の父親をもつ当事者として、その難しさを痛感していますので、仏教の教えをベースに考えてみました。
私の父親は田舎で一人暮らしをしており、老化による視野の欠落や認知機能の低下が少しみられる状態です。しかし、趣味や買い物、通院など、車の利用が必要な状況で生活しています。
視野への影響が心配でしたので、時々帰省し、父の状態を把握するようにしています。車に同乗すると、信号の認識は車の機能に頼っていることが多い様子で、駐車には時間がかかり、曲がる時に中央をキープできないような状況もあり、少し不安になってきました。
そろそろ免許返納も考えなければならない状態だと感じましたが、父は頑固な性格で、会話で直接伝えても反発されるだけです。伝え方が難題の一つになっています。
父は自分の体の衰えについて多少の自覚があるようですが、運転できないレベルにはなっていないと認識しているようです。本当に大丈夫なのか、はっきりとした線引きの判断基準はありません。それでも私は、父が運転を間違うリスクが高くなっていると感じ、免許返納に向けて取り組んでいくことが必要だと認識するようになりました。
正論で押し切らないという「方便」
父には運転への執着があり、私には父に免許を返納してほしいという思いがあります。父の老化により事故を起こす恐れが高まってきた状況で、父の運転への執着を無理に断とうとするのではなく、父自身で現実と向き合えるよう支えていく必要があります。
そのためには、信頼できる第三者(医師など)に判断していただき、危険があることを客観的に指摘してもらい、本人に認識してもらうことが有効だと考えています。
また、仏教には「方便(ほうべん)」という考えがあり、相手を苦しみから遠ざけるために、時には厳しい言葉を使うこともあるようです。しかし、高齢で頑固な父とは会話するだけでも反発が大きく、頼み事が通らなければ、こちらも疲弊していくことになります。そして、結果的に伝わらないことにもなります。
だからこそ、正論で押し切らないことも方便として考えなければいけません。お互いのために智慧をもって無用な衝突を避けながら、向き合っていくことが必要なのです。
免許返納後の暮らしをどう支えるか
同時に、免許がなくても大丈夫な環境を準備していくことも必要になります。先のことはわかりませんが、父の老化現象は進んでいきますので、適切な介助ができるよう準備しておく必要があります。しかし、これが一番難しいかもしれません。
一つは、代替交通手段の準備です。田舎の公共交通機関では、今の行動範囲を網羅することはできそうにありません。また、免許返納により行動範囲が狭くなった後に、生きがいを維持できるような楽しみについても考えていく必要があります。
家族である私や孫、ひ孫との縁を楽しめる同居ができたら一番良いのですが、長年一人暮らしを続けてきた父からは、大きな反発があります。無理に説得するのではなく、一定の距離をとりながら、徐々に理解してもらえるよう接していくのが、今できる最善のことだと考えています。
老いという無常のなかで
このやり方で本当に間に合うのかはわかりません。老いもまた無常であり、誰にも避けることのできない現実です。阿弥陀如来の本願を頼りながら、今できることを精一杯やっていくしかないと考えています。
南無阿弥陀仏。



















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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