書いた人:山田春樹
介護の現場では年齢を重ねるにつれて身体の機能が衰え、これまでできていたことが難しくなる場面に出会います。しかし、その変化は失うことばかりなのでしょうか。本レポートでは、100歳近い入居者が歩行から車椅子での生活へと移行した出来事を通して、命の「無常」と向き合います。自分の力で歩くことが難しくなっても、人の手を借りることで広がる生活の範囲があります。介護の現場で感じた「自力」と「他力」、そして相手の苦しみに寄り添うことについて考えます。
歩くことが難しくなった入居者の姿
私は現在、介護施設で働いています。介護を要するお年寄りの方々との関わりの中で、私が得た気づきのいくつかをレポートとして残していきたいと思います。
施設に入居されている男性が車椅子を使用することになりました。100歳近い高齢でありながらも、職員の付き添いのもとで何とか歩いて移動されていましたが、年々衰えが見られ、痛みも強いようで、歩くことが難しくなりました。
その方が一人で歩いて回られていた頃から関わっているので、ずっと元気でいることの難しさに、移ろいゆく命の無常を感じずにはいられません。
車椅子によって広がる生活の範囲
ただ、身体機能の変化だけで見ればマイナスかもしれませんが、生活範囲という面ではそうではないと思うのです。今までは職員が付き添いながら歩いて移動されていましたが、長い距離は体力的にも難しく、最低限の生活範囲の中で過ごされていました。
今は車椅子での生活になり、自分で歩くことはできませんが、職員に押してもらうことで施設内ならどこでも行けます。生活範囲は歩いていた頃よりも広くなりますし、本人の負担や体力の消耗も少なく済みます。
別のフロアの方々と交流したり、屋上や外に出て風やお日様に当たったり……。今までよりも、そうしたことができる機会は増えていきます。
これまでの自分で歩くという「自力(がんばる)」から、車椅子を押してもらう「他力(まかせる)」への移行とも感じられました。
相手の苦しみを思いながら関わる
本人は認知症もあり、意思疎通が難しい場面も多く、どこまで「今」の自分を受け入れておられるのかはわかりません。
体が思うようにならない、いろんな所が痛む、どうしたらいいのかわからない……。介護する私たち職員が汲み取れない苦しみも多々あると思います。
それでも、その方により良く過ごしてもらうにはどうしたらいいか、日々の関わりの中で考えていきたいと思います。今後も日常のふとした場面やさまざまな縁から学ばせていただいたことを、遅々ながら書いていきます。
少しでも学びのお力になれたら幸いです。





















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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