死に生かされ、生を楽しむ
「“死”について考えよう」というと、「死ぬことを考えるなんて、縁起が悪い」 「自分がいつか死ぬなんて、考えたくもない」と、拒否反応を示す人が少なくありません。
でも、仏教では「生死」は合わさって一つのことだと考えられています。
生きるというのは、いつか死ぬということであり、死ぬというのはそれまで生きているということです。
多くの人は、いつか自分の命が尽きることをとても恐れます。
しかし、もし永遠に生き続けられるとしたらどうでしょう。
ボクは、永遠に終わりのない人生を送るのも、死ぬのと同じくらい怖いことだと考えます。
何をやっても死なないし、何もしなくても生き続けるのですから、まるで終わりのないブラックホールの中で、ずっと漂い続けるようなものでしょう。
目的地もなく、永遠にさまようことは想像すると恐怖しかありません。
イタリアのルネサンス期を代表する芸術家である、レオナルド・ダ・ヴィンチは、 「このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ」という言葉を残しています。
さまざまな解釈があると思いますが、ボクはこの言葉を「自分の最期を考えることで今の在り方が変わってくる」という意味にとらえています。
死について考えるのは、怖いかもしれません。
多くの人が死にたくないと思っている。 たとえ「天国に行ける」とわかっても、「じゃあ、今すぐ死にたい」という人はいないでしょう。
でも人は皆、生まれた瞬間から一歩ずつ死に向かっています。
誰のもとにも、死は100パーセントの確率で訪れます。
その当たりまえの事実を受け入れ、死に生かされている自分に気づくことで、生を楽しみ生かすことができるのです。