誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

得度に踏み出したきっかけについて

得度に踏み出したきっかけは、幾つもの事が重なってのことです。
私は文章を書くのが得意ではなく、うまくまとめられそうにないので、まずは箇条書きにさせてください。

1、いつの間にか仕事の目的が社会的成功にすり替わっていたが気づかずに続けていたため、ある日突然、仕事が苦痛になり出来なくなった。
2、仕事をやめると、自分がすでに大変満たされた人生を送っている事と、今までどれだけ外的満足への渇望によって動いていたかを実感した。
3、仕事をする必要性もなかったので、ただ穏やかで幸せな毎日が続き、不足は何もなかったが、
4、克服や達成のドラマから抜けた結果、では今から何して生きていこう、というような手持ち無沙汰な感覚を感じていた。

1、同時期に、20代から抱えていた葛藤に決着がついて「この世に意味などない」という(私にとっての)答えを得る事ができた。
2、悟りに至った方(宗教家や神秘家ではない一般の方です)との出会いがきっかけだったが、結局は自分が自分の確信を肯定できずにいた事が苦しみの原因だったのとわかった。
3、この世にも生にも意味がないと得心したので、さらに一層「満ち足りてはいるけどさて何しよう」いった手持ち無沙汰感が増した。

1、そうして1年間ぬくぬくと過ごしているうちに、
2、突然自分の奥底から「懸命に生きたい」という強い欲求が湧き上がってきた。
3、自分でもどういう感情かよくわからず戸惑ったが、長年ふらふらと自分の事ばかり考えて生きてきた私の、根底にあった叫びだと感じた。
4、とは言え、何をどうすればいいかよくわからなかった。

1、こうした一連の流れ中でまだもがき苦しんでいた時に、哲学や宗教について少し勉強していた。
2、そこで東洋哲学や原始仏教に興味を持った。
3、もっと勉強したいと思い、別のお寺での得度を検討した。
4、だが、超越者による救済という世界観に抵抗を感じ躊躇していた。

1、そんな時に家族のように大切な仕事仲間の旦那さんが得度された事を知る。
2、会わせて欲しいとお願いし、他の仕事仲間たちと共に皆で集まった。
3、旦那さんの考えや在り方に、深い感銘を受ける。
4、さらにその場で旦那さんとその場にいた仲間たちから、仕事の再出発を後押しされ、
5、これまでやってきた事をこれからは、自分のためではなく社会や子供達のために行う、という新しい視座を与えてもらった。
6、これまでの閉塞感が消えて「そうしたい!」と思えた。

1、そこから様々な事がどんどん繋がり、解消されていき、
2、これまで自分のためだけに生きてきた人生だったが、ここからは自分ではなく意義ある事のために尽くたいと、気持ちが明確になっていった。

得度への一歩を決心したのは、こうした経緯からでした。

意義ある事のためにと書きましたが、私は大変利己的な弱い人間ですので、そう決意したからといって急に今日から立派な人になれるわけもなく、恐らく死ぬまでにどうにか1つ、良い事ができたと自分で思えたら上出来ぐらいだろうと思っています。

それに良い事や意義がある事というのも、それは決して1つの絶対的な答えがあるものでもないと思うので、私は生涯そうした事を自問しながらそれでも、そうあろう、として生きていくのが精一杯なんだろうなと今は思っています。

でもだからこそ、それが許される事であるなら、自分のこれからの生き方を定めるひとつとして得度させて頂きたいと思い至りました。
真剣に生きたいと、心から望んでいます。

それでも迷い間違いを繰り返すと思いますが、親鸞上人やお釈迦様の教えを道標に少しでも意味のある生き方が実現できるよう努力していきたいと思っています。
機会を与えてくださってありがとうございます。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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