共生の難しさは、日々の中で度々感じることである。年齢も育った環境も、価値観も異なる者同士が、同じ場で過ごすなかで、ちょっとした意見の食い違いや捉え方のズレ、言葉のチョイスミスなどで、トラブルに発展することが多い。特に私の職場環境は、成長途中の10代が大半を占めているので、その対応はむずかしい。
我々、いわゆる「大人」であれば、まあ、妥協したり、ちょっと我慢したり、やり過ごす、といった処世術が多かれ少なかれ備わってしまっていると思うので、大した問題じゃないと感じる事でも、若い世代にとってはなかなかそうもいかない。それぞれの性格や価値観の違いを少しずつすり合わせながら、妥協点を探させなくてはいけない。
儒教の考え方に「和して同ぜず」という言葉がある。これは意見の異なる人とコミュニケーションする際に、いたずらに対立するのではなく、相手の意見を尊重しつつも、自分の主張を簡単には譲らない。という成熟したコミュニケーション術である。見解の多様性を尊重しつつ、調和や平和をつくることだ。
とはいえ、これはなかなか実践が難しい。我々「大人」といわれる人でも、気を付けないとつい、感情が先行したコミュニケーションに陥りやすい。ましてや多感で未熟な10代にこれを即座に実行せよ。などとはとても言えない。時間をかけて少しずつ理解をしてもらうしかないのだろう。
怒りや妬み、不平不満は、その価値判断や価値基準、能力といった事柄をすべて、「自分基準」にすることで起こるのだろう。そうした視点をちょっとずらして見るだけで、見える景色や聞こえる言葉は随分と違ってくるものだと思う。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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