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『美味しんぼ』の「トンカツをいつでも食える」という名言から学ぶ仏教の「中道」の教え

『美味しんぼ』の「トンカツをいつでも食える」という名言から学ぶ仏教の「中道」の教え

Report by 釋明淳

多くのファンに愛される漫画『美味しんぼ』。その中でもトンカツをめぐるあの名言は、人生の本質を突いています。欲望に振り回される贅沢でもなく、選択肢を失った貧困でもない。この「絶妙なバランス」こそが、実は仏教が説く「中道(ちゅうどう)」の教えそのものなのです。なぜ私たちは「いつでも選べる」状態を目指すべきなのか。名作の一節を入り口に、現代を機嫌よく生き抜くための生活哲学を論理的に読み解きます。

「トンカツをいつでも食える」—生活感覚の哲学

『美味しんぼ』に登場するこの言葉は、多くの人に響く力を持っています。

「トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない、貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」

これは、単なる成功論でも根性論でもなく、まさしく「生活感覚の哲学」です。この言葉の肝は、「トンカツ」という具体性にあるのです。

トンカツは、毎日食べる贅沢品ではないが、手が届かないご馳走でもない。腹も心も満たす、現実的で温かい食べ物です。つまり、欲望を抑えすぎず、かといって誇張もしない、人生の健全なバランスの位置を示しています。

仏教の「中道」と人生の「選べる余白」

この絶妙なバランスこそが、仏教が説く「中道」の教えに通じます。贅沢な享楽主義と、苦しいだけの禁欲主義、その両極端を避ける生き方です。

「偉すぎもしない」の視点

偉くなりすぎると、人は現実から浮遊し始めます。値段を見ず、季節を感じず、他者の苦労も見えなくなる。そうなると、味覚も人生の機微も鈍ってしまうでしょう。

「貧乏すぎもしない」の意義

反対に貧乏すぎると、人生から選択肢がなくなります。我慢が美徳ではなく、ただの消耗となる。空腹の状態では、深い哲学や教えは生まれにくいものです。

「いつでも食える」が示す自由

この言葉で最も重要なのが、「いつでも食える」という表現です。「毎日食える」ではないところが、絶妙な「余白」を示しています。

  • 今日はやめとこう、と選べる
  • 今日は行くか、と選べる

この「選べる自由」こそが、人間の尊厳であり、真の中道です。仏教では「足るを知る」という教えがありますが、それは現実に根を張って生き、必要に応じて選択できる状態を確保することでもあります。

機嫌よく生きるための基準

この言葉は、成功者の自慢でも、貧乏人への説教でもありません。ちゃんと働いて、ちゃんと腹を満たし、明日も機嫌よく生きられる地点の話なのです。

トンカツを、心からありがたく、うまいと思って食えるうちは、人はまだ壊れていない。そういう、静かで強い人生のバランスを示す言葉なのです。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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