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仏教徒として歩む道:インド・ネパール聖地巡礼で見つけた「抜苦与楽」の決意

仏教徒として歩む道:インド・ネパール聖地巡礼で見つけた「抜苦与楽」の決意

Report by 釋 隆雲

新婚旅行で訪れたインドの聖地サールナート。ジーンズに迷彩柄のシャツという格好ながら、袈裟をまとい数珠を手にした瞬間、周囲の反応は一変しました。それまで群がっていた施しを求める人々や売り子たちが、一転して敬意を払い、手を合わせ始めたのです。なぜ、布施を受ける立場の人々が、見ず知らずの日本人に頭を下げたのか。その理由は、インドに深く根付く聖職者への敬意と、仏教の根幹である「抜苦与楽(ばっくよらく)」の精神にありました。自身の未熟さを痛感しながらも、人々の苦しみを取り除くという重責に目覚めた、ある得度者の鮮烈な体験記です。

仏教聖地巡礼:袈裟が示した「抜苦与楽」の役割

かなり昔の話でありますが、新婚旅行でインド・ネパール旅行へ行かせていただきました。すでに仏教大好き人間であった私は、渡航前日は眠れないくらいでした。

新婚旅行とは書きましたが、仕事が忙しく一年先になりましたので、落ち着いて訪印することができました。現在のネパールにあるルンビニーで誕生された仏陀、そして初転法輪の地であるサールナートやガンジス川を訪れ、頭の中は仏陀一色になりました。

喧騒の中で感じた仏教誕生のオーラ

東京よりも凄い人混みにたくさんの動物、マハラジャからカースト外の人までひしめき合う雰囲気に圧倒されました。この喧騒に加えて、インド亜大陸の戦国時代ともなれば、どのような悟り、見性、哲学から思想まで、あらゆるものが誕生しそうなオーラが充満しているように感じました。

また、たくさんの施しを求める人々にも失礼ながら慣れていきました。

袈裟をまとった瞬間に変わった周囲の目

仏陀の聖地の一つであるサールナートへ到着し、袈裟をかけて数珠を出した途端、私から施しを求める人々や売り子がいなくなりました。よくわからなかったので、何か悪いことをしたのかと心配になりました。

やがて仏陀像の立ち入り禁止の門が開かれ、係の方が私に「中に入り、壇上に上がりなさい」と勧めてくれました。気が引けましたし、観光客の人々は私をカメラで撮影しています。袈裟はあるもののジーンズに迷彩のシャツ姿です。

外にはチベット仏教の集団、浄土宗の方々、ジャイナ教の無毛の方々まで見えます。しかし後には引けませんので、壇上に上がり、開経偈から般若心経など、当時知っている真言宗高野山派の勤行を行わせていただきました。

お経を読み進めるうちに、なぜか有り難くて有り難くて泣いてしまい、声が出なくなる中、シャッター音や指笛?まで聞こえてきました。恥を捨て何とか壇上から降りてきて、浄財を入れようとすると係の方に止められ、合掌されました。売り子さんたちも私に合掌してくれます。

巡礼地で気づいた真の仏教徒の役割

そこでやっと事態が分かりました。私を客から逆にお布施をする対象だと見なしたのです。ですから浄財も受け取りません。

また、足の甲に土下座して額をつける挨拶がインドにはありますが、それは最高の敬意の印です。近くにいた日本人の方から、以前はバナナをもらったり、逆に布施しているのも見たことがあると聞き、宗教や清らかな行いをする人々への敬意の習慣の凄さに圧倒されました。

自分はあなた方が手を合わせるような人間ではありません、と何度も自己嫌悪になりつつも、宗教者、聖職者というものは『抜苦与楽』(人々の苦しみを取り除き、楽しみを与えること)に勤め、皆を仏教であれば仏道への道を説く者でなければ、真の仏教徒にあらずと強く感じました。

この聖職者というものに注がれる周りからの期待とプレッシャーは、さらに聖職者を鍛えるとも感じる素晴らしい旅行になりました。

得度者としての新たな決意

そこまで立派にはなれませんが、得度をいただいたからには仏様に選んでいただいたと、せめて少しでも、煩悩具足の私が他力本願・本願力を発揮できますようにと、改めて感じました。

この貴重な体験を通じ、仏教徒として歩むべき道への決意を固めることができました。ありがとうございます。南無阿弥陀仏 南無釈迦牟尼仏 合掌。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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