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今月の托鉢だより

今月の托鉢だより

書いた人:竹下暁蓮

得藏寺所属の僧侶・竹下暁蓮さんによる「今月の托鉢だより」。長野の秋空の下、八ヶ岳に見守られながら行われた托鉢。今回訪ねたのは、長年にわたり娘さんの病気と向き合ってきた高齢の女性のお宅でした。ご自身も大変な暮らしのなかで、差し出してくださったお布施。その姿から、仏教で大切にされる「ダーナ(布施)」の意味があらためて見えてきます。

八ヶ岳の麓で始まる托鉢の道

凛と澄んだ空気が青をいっそう深く、天高く押し上げているような長野の秋空。八ヶ岳に見守られての托鉢です。托鉢にまつわるこんなエピソードがあります。

お釈迦様と弟子たちが托鉢に出かけた際に、道が分かれていて、片方の道は裕福な村へ行く道、もう一方は貧しい村へ行く道でした。弟子たちが「裕福な村(家)に行けば、たくさん良いものが食べられる」と考えたのに対して、お釈迦様はあえて貧しい人々の村を選んで回るように指導しました。

これは、なぜだかお分かりになりますか?

ここでの回答は避けておきますが、このエピソードからもお分かりになるように、どんなお家であっても避けることなく回らせていただくことが托鉢の基本になります。

ある一件のお宅に訪いをかけさせていただきました。出てきてくださったのは、80歳をとっくに過ぎたであろう、小柄な腰の曲がった奥様でした。

お訪ねした理由をお話しさせていただくと、奥にいったん下がられて、小さな小銭入れを持って戻ってきてくださり、お布施を鉢に入れてくださいました。

「娘がもう20年以上前に、脳梗塞で倒れてから体の自由がきかなくて、ずっと入院生活なんです。」と、大変な暮らし向きや心の内の苦しさを涙ながらに語ってくださいました。大変な中でも、ご自分でできる範囲でお布施をくださる。これこそ美しい「ダーナ」だなと、頭が下がりました。

布施という行為は、施者、受者、施物という三者が縁あって成り立つものです。三者のどれも執着や計らいを離れた無私の布施であることですぐれた布施行が完成するのです。そこには「見返り」などの期待は一切排除されています。

私たちは多くの場合、何か「良いこと」を行う場合も「感謝」を期待していませんか?

ありがとうを言ってほしい。
感謝されたい。
自分も助けてほしい。

無私の状態で誰かや何かに対して自分の行為を捧げることは、とても難しいことだと思います。お母さんが我が子に与えるような「無私の愛」。そんな行為をどなたにでもして差し上げることができたなら、この世の中から争いごとは消えるのかもしれませんね。

そんな願いを抱えながら、回らせていただいております。

合掌

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
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