昨年の秋ごろから、若干の体調不良があった。疲れやすさや、軽い息切れ。ひどくはないのだが、咳が長く続いていた。職場で急な退職者が出たこともあり、その穴埋めで少々勤務過多になっていたのが原因かもしれない。不調なまま時が経ち、12月に入るころには、数段の階段を上がるだけで息苦しさに見舞われていた。これは、ちょっとイカンかなあ・・。と思い出した中旬、夜間に呼吸困難に襲われた。しばらく様子を見たが、改善しそうもないので、やむなく救急車のお世話になり、受診した事のある、心臓病専門病院に搬送してもらった。
結果は、心不全。数年前にも冠動脈狭窄で、血管の拡張処置をしてもらったことがあったが、今回もまあ同様の症状なので、再度ステント留置でとりあえず治まった。年末年始を病院で過ごすのは初めて。何ともはや・・な年明けだった。
因果、である。自身の体調不良は、原因があっての結果だから、なんの言い訳もできない。半ばパニックに陥らせてしまった妻には、本当に申し訳の無いことをしてしまった。と反省。と、同時に、呼吸が苦しいという状況は、割と「死」を身近に感じることだと実感した。肺に空気が入ってこない恐怖に、うろたえ、このまま死ぬんじゃないか?と一瞬思ってしまった。
命を終えた後は、阿弥陀様が浄土へお迎えくださるのだから、死は何も恐ろしいことではない。と理解していたはずなのに、情けないほどの狼狽ぶりにまるで修業が足りていないなあ、と痛感した年末年始だった。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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