誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

「死」を改めて意識してみて

「人生を変えるのに修業はいらない」

 愛葉宜明さんの著書、「人生を変えるのに修行はいらない」を読了しました。まずは第一章を読んでのレポートになります。詳しくは、同著を読んで頂きたいのですが、1章では人間の「死」をスタートとして、その救いとしての浄土真宗のアプローチが非常に明快でした。

 この章を読んで改めて僕も「死」というものを意識してみました。いわゆる僕の人生は、あとどのくらいか、計算してみました。すると僕の残りの余命は、平均寿命を元にすると、残り18000日あるそうです。1万8000日…捉え方は人それぞれですが、自分の人生はまだ結構残っているなぁという印象です。

 そこで、遠く離れた父の残りの日数も好奇心から計算してみました。父は、残り6000日。年に換算すると16年です。16年。今父とは、離れて暮らしており、物理的にも年に1回会えるか会えないかが精いっぱいです。ちゃんと年1回会えて、16回。もう父と残された時間は、1か月もないのです。しかも、父はかなりのヘビースモーカーで、甘いもの好き。となると、もしかしたら、16回より少ない可能性もある。16回しっかり会えても、最後の15、16回目は、父が元気でない可能性もある。私は、この計算をした時、できるだけ「親に会う時間を確保しよう」と思いました。

 もともと僕は、キャリアを意識して西日本から関東に出てきました。結局、仕事についていけない、人間関係をうまくこなせないことで、挫折したのですが、遠方に住むことで、親のありがたさを実感しました。そして、仏教に出会い、お坊さんに憧れる内に愛葉さんの著書を読んで、「死」を意識したとき、大切なのは、地元の家族なんだなぁということがわかりました。

 未来は体験できない。また、同じ章で、今の僕にガツンと来た内容は、「一瞬さえ未来を体験できない」です。これ、人によっては「何を当たり前のことを…」と思うかもしれませんが、どんなに科学が発展しようが、人間未来を体験できません。だから今を大切にするべきだと。これは激しく共感しました。

 そして、僕はさらに自分の経験から、「今」さえ体験できないと実感しています。今というものを切り取って保存できるように見せかけることは、スマホのカメラ機能で可能ですが、「今!」と認識した目の前のこと、ものなどは絶対に固定できません。今と言った、見た、認識したものは、説明するころには、過去のことです。楽しい時間、ハッピーな気分、見える景色の彩度、明度、車の音、全部コントロールできません。「南無阿弥陀仏」と唱え終わると、もう同じ音程、声量の「南無阿弥陀仏」は出せません。

 こうしたことから、実は案外「今を大切に生きる」って難しかったりするなぁと思うのです。だけど、人間には一時的にでも過去、現在、未来を頭の力のイメージして工夫、努力する機能が備わっています。捉えようのない「今」でも、それがあると仮定して、過ぎた過去を反省して、未来をイメージしてできることが目の前には、たしかにあります。

 これは、愛葉さんが同著で言う「今がよくなければ、過去も未来もよくならない」ということだと私は勝手に解釈しています。今できることをする、こなすと言っても良いでしょうか。そして、その「今」を充実させるには、死を見つめること、僕の例でいえば、親との時間です。

 今後、僕も老化とともにできること、できる幅、できる時間はどんどん減ってきます。(当たり前ですが)そんなとき、何を優先させるべきか、今後も「死を見つめる」ということを指針にして、人生の後悔は減らしていきたいと思いました。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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