誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

娑婆(シャバ)の真意とは? 仏教における「耐え忍ぶ世界」の意味と人生観

俗世間としての「シャバ」と仏教における「娑婆」のギャップ

私の偏ったイメージでしょうか?

「娑婆」という言葉は、映画やドラマでヤクザや犯罪者、警察関係者が出てきて、犯罪者が罪を償うために収監されていた密閉空間から解放されたあとの、自由な場を表す言葉だと認識していました。

そもそも、この娑婆という言葉が仏教からきていることすら驚きでしたが、正確には、忍耐を表すサンスクリット語の「saha」からきており、「耐え忍ぶ世界」を意味するのだそうです。この定義から見ると、この世界は単なる自由な場ではなく、そもそもが苦しみの中で耐え忍んでいく世界だという、仏教の根幹的な世界観を体現しています。

娑婆世界で生きることの意味:苦しみの受容と伝え方

仏教では、「この世界は苦しみの世界である」「人生は耐え忍んで生きるものである」「生きるとはたくさんの煩悩との戦い、修行である」などと教えられています。確かに浄土真宗の教えにもあるように、生きることそのものが修行であるという捉え方をしても違和感がないことも事実です。

私は、人生って捨てたものじゃないよと、生き方や在り方、捉え方によってもそうだし、自分の人生は自分でいくらでも良く出来るとお伝えしていますが、仏教の教えをそのままストレートにぶつけることは避け、人生に対して、最初からあきらめ気味な姿勢や捉え方、夢も希望もないと解釈されないように、伝え方に気を付けるようにしています。

「生きる」ことは修行そのもの

そのくらい、生きるって大変なことが多いし、自分に褒めるところがないと口にする人に対しては「今日1日生き切ったことを褒めてあげて」と必ず伝えるくらい、生きることは修行のようだとも感じます。諸行無常であればこそ、この世ははかないものだと確かに思います。

苦しみの世界(娑婆)を生き抜く智慧

でも、大事なのはやはり、幸せになりたいと思う上で、少しの努力を重ねながら生き抜くことだと私は思います。

足るを知り、自己研鑽を続ける

期待しすぎず、欲を多分に持ち過ぎず、今あるものを見ながら足るを知り、自己研鑽を続けていけば良い気がします。

仏教が教える娑婆は苦しみの世界かもしれませんが、それは逃げ場のない現実を受け入れ、その中でこそ修行し、成長し、輝くことができるという希望も含んでいるのではないでしょうか。

私はこれからも、生きるって素晴らしいことだし、この世って捨てたもんじゃないし、人間って悪いところばっかりじゃないし、人生ってまんざらでもないものだよって伝えていきたいと思っています。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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