私は、布施の感覚に悩んでいます。
友達や家族に良かれと思って勧めたり、物をあげたりすることがあります。その時に、相手が拒否したり、自分には必要ないと言われたり、無視されたりするととても凹みます。
なぜ凹むかというと、それは布施の感覚になっていないからです。それには気づいてます。
布施の本来の意味は「与えること」と解釈しています。そこに、損得勘定はなく、喜ぼうが悲しかろうが与えることです。
与えるときに、相手を認めるだけの事です。幸せになればいいな、役に立ってほしいな、も期待が大きくなってしまっている状態で損得勘定が働いています。
ですが、本来の布施というのは実践すると、とても難しいです。どうしても、なにか相手に求めてしまいます。
この感覚がなくなれば、心も軽くなるだろうし、誠実になれると確信しています。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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