誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

期待と信じる心(信心)――見返りを求めないということ

期待と信じる心(信心)――見返りを求めないということ

書いた人:伊藤勇気

人に何かをするとき、そこに見返りや結果への期待が混じっていないか。本レポートは、日々の行いを見つめ直しながら、「期待」が苦しみを生み出すこと、そして見返りを求めずに信じる心で向き合うことの大切さについて考えます。念仏の言葉にも触れながら、行動と心のあり方を考えさせる内容です。

期待が苦しみを生むとき

他者に何かを施して、自分に対しての見返りを求めていませんか。何か自分への利益や見返りを求めて、自分の行いをしていませんか。

自分の今していることは、本当に「自分のため」にやっていることでしょうか。自分を生かすために、活かすためにやっていることでしょうか。私は最近、こう考えて、いろいろな物事に取り組んでみるようにしています。

何かに「期待」をして、自分の考えを決めたり、物事をこなしていること。これは苦しみの始まりなのではないかと思っています。

期待には「見返り」を求める気持ちが必ずあるのです。そして、その見返りがない結果を、自分基準で「見返りがない」と受け止めてしまうと、自分が満足できず、不満や不安を抱いてしまう。これは、自ら苦しみを生み出していることに他なりません。

信じる心で向き合う

どのような物事に対しても、信心、即ち「信じる心」が大切なのだと思います。見返りや利益を期待せず、ただただ相手にした行動に対して、どう心が動いて行動してくれたか、どう感じてもらえたのか。願わくば、平穏無碍なく、幸せに物事が進んでいくことを「信じる」ことです。

それが自分への見返りとは関係なく良い結果であったり、たとい悪い結果であっても、自分の行動や言葉がきっかけであれば、それはそれで良しと思うこと。悪い結果なら、そこを次から改めたらよいのですから。

念仏の言葉に支えられて

結果を期待なんかせずに、信じてみましょう。想いはいずれ、どんな形でも伝わるし、時間はかかってもよい方向へ向かっていくのだと。

専修念仏。一切他力。「南無阿弥陀仏」。こんなに力強い言葉はありません。日々感謝です。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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