書いた人:釋 隆雲
信号待ちの最中に追突され、車の価値が下がるという損失が生じた出来事。しかし、その場面で強い怒りにとらわれなかった背景には、仏教の智慧による受け止め方がありました。事故を「誰が悪いか」という理由や理屈だけで見続けるのではなく、縁起による事象として受け止めることで、心の葛藤が軽くなっていく感覚が語られています。
追突事故で起きた損失
私事で恐縮ですが、6月19日の金曜日、軽井沢の星野温泉近くで信号待ちをしていた時に、後ろから追突されました。さいわい、同乗者の妻や犬たちに怪我はありませんでした。ただ、購入後1年の車は下部フレームもへこんでしまい、修復歴ありの車となりました。きれいに修理しても、価値は下がってしまいます。
こちらに落ち度はないとのことですが、もらい事故でも損失はあります。年間平均で40,000キロ乗りますので、いろいろなことがあります。前の車の時も、信号待ちで追突され、下取り額が下がりました。
お二方とも、スマホを見ていたとのことでした。ドライブレコーダーに映っていたそうです。
腹が立たなかった理由
ながら運転は、もちろんいけません。ただ、仏教の智慧により、それほど動じないというと言い過ぎかもしれませんが、腹が立ちませんでした。
「お互い様」「わざとではない」「スマホブームだからしょうがない」といった意味や理屈ではありません。起きてしまったことはもう過去であり、縁起による事象が因果となって現れ、消えるという智慧そのものだと感じたのです。
こう言うと、少し格好をつけすぎかもしれません。けれども、素直に「起きてしまったら仕方ない」となります。昔の自分なら、ずっとイライラして、損得を考えていたと思います。また、スマホを見ていたとはいえ、相手の方もぶつけたくなかったのは当たり前です。
しかし、このような理由や理屈もいらないといいますか、事象に対して問い続けることが「苦」だと感じます。
起きた瞬間だけをとらえる
普通に考えを当てはめれば、「スマホを見ながらの前方不注意による追突」です。しかし、「スマホを見る」が起きた。「前方不注意」が起きた。「衝突」が起きた。そうして起きた瞬間だけをとらえると、過去の力が弱まります。
すると、起きた事象にただ対処していくだけになり、「葛藤」が大きく減少します。車の修理や今後のことは考えて、最善を尽くします。それでも、縁起による因果という智慧が、心の葛藤、つまり執着を確実に減らしてくれます。そして、事象が軽くなります。
このようなことだけでも、仏智の素晴らしさを感じることができ、果報者だとありがたく感じています。
南無阿弥陀仏。


















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明 著 『仏陀経営』ほか
コラム一覧 → こちら