これは私の正直な気持ちなのですが、人助けという仕事、苦しんでいる人の支えになったり、サポートをしたりなどが、時々、自分のエゴなのではないかと思うことがあります。
お釈迦様が貫き通したという抜苦与楽の姿勢は、どこまでも人を苦しみから救い、幸せや愉しさを与えるという、多数の人が憧れる姿ではあっても、それが出来るかどうかはずっと課題のような在り方です。
日頃多くの人の相談に載る中で、悩んでいる自分が好きな人や、苦しみの渦中から望んで出ない人が一定数存在しますし、(これらは少しゆがんだりこじらせてしまった感情なども潜んではいますが)その方が悩んだり苦しんだりすることは、本人が経験することとして実は必要なことなんじゃないか、など、複雑な心境になることがあります。
またそれとは別に、人として目を疑うような行いをしたり、言葉を発したりする人が、私の目の前に現れた際、その人が、それは自業自得でしょうと、本人の行いによって返ってきたと思われる現象に悩んだり苦しんだりしている時に、その苦しみに寄り添う時に、純真な心で向かい合えていない時があるのです。
難しいことや複雑なことは一切考えずに、目の前の人の苦しみにただただ寄り添い、救うことに尽力し、迷うことなく幸せや愉しみを与えていればいい、きっとそうなのでしょう。
慈悲の心、広くて暖かい、誰でも受け容れ赦す抜苦与楽の在り方、私にとってこれからも、大きな課題です。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
愛葉宣明のコラムはこちら