書いた人:レーン由香
「諦める」は後ろ向きな言葉として受け取られがちですが、本レポートでは、仏教を学ぶ中で出会った「明らめる」という言葉を手がかりに、その意味を捉え直しています。変えられない現実をまず受け入えた上で、そこからどう考え、どう進むのか。日々の実感に引きつけながら綴られた内容から、物事との向き合い方が少し見えてきます。
「明らめる」という言葉との出会い
仏教の勉強を始めてから、「明らめる」という言葉を初めて知りました。その意味を理解すると、私が今まで使っていた「前向きに諦める」という言葉に似ていました。
これまで、目の前で自分では変えることができない、どうしようもないことが起こった時には、「もうこれはこれで仕方ない!」と、まずはその現実を理解し、受け入れるという意味で「前向きに諦め」て、今後どうしていくかを考えるようにしていました。
それが「明らめる」ということなのだと知った時、ものすごく腑に落ち、いい言葉だなと思いました。
「諦める」ではなく「明らめる」
そうなると私の持論ですが、世の中、結果的に諦めることは何もないような気がしてきました。「諦める」のではなく、「明らめる」からです。
これからの目標でも、やっかいな問題事でも、無理かもしれないと諦めるのではなく、ひとつひとつ明らかにして、アプローチを変えてみたり、一旦止まって休んでみたりして、気づき、考えながら、目標に近づいたり、問題が解決に向かったりするような気がします。
そして、その結果がすべてではなく、そこからが大切なのだと思います。うまく明らめるようになれば、おだやかに物事を見られるようになり、極端な考えに偏らず、「中道」の精神でいられるのではないかと思います。
自分の言葉で考える中で
レポートを書き始めてから、自分の言葉で考えを表現することの難しさを知りました。ですが、今までのモヤモヤしたものを「明らめて」いく中で、仏教的な考え方の素晴らしさを日々感じています。
この機会を頂けたことに本当に感謝しています。これからも日々修行です。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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