8月30日の対談を拝聴させて頂き、誠にありがとうございました。大変有意義なひと時となり、私自身も考えさせられる内容が多々ございました。その中でも、特に深く感じた内容を下記に挙げさせていただきます。
現代社会において、AIは非常に優れたソフトウェアであると感じます。しかし、その使い方によっては、人それぞれの思考力の向上に偏りが出る可能性もあるのではないでしょうか。
もし何もかもAIに依存してしまうと、人は「考える」という行為自体をしなくなり、結果として思考力の低下を招くのではないかという懸念があります。最近の傾向として、難しい漢字を“読む”ことはできても“書く”ことができないという現象が見受けられます。これはまさに、便利さに頼るあまり、自らの能力が衰えている一例ではないかと思います。
今後、教育の現場においてもAIの活用が推進されていくことが見込まれますが、人間社会においては「自分で考えて行動する力」を失わないようにすることが重要です。
話は変わりますが、近年では人工知能を搭載したロボットが多く開発されています。SF映画などではロボットが人間を支配するような描写もありますが、これは決して夢物語ではないかもしれません。そうした事態が現実にならないためにも、「AI」と人間との健全な付き合い方を考えていく必要があるのではないでしょうか。
様々な人との出会いを通じて得られる情報によって、自分自身を変えることは可能です。今回の対談においても、登壇された4名の方々が、それぞれの出会いによって行動や考え方が変わっていったというお話が印象的でした。
私自身も、今の自分があるのは多くの人との出会いがあり、その中で様々な情報を得て成長してこれたからだと実感しています。実際に、現在は愛葉ご住職とのご縁を通じて「仏教」に学ぶことを意識するようになり、多くの知識を得ようと努めています。
今回の対談で、さらに倉島ご住職をご紹介いただき、「僧侶」としての心構えについても新たに学ばせていただきました。今後の修行と実践の中で、これらの学びを生かしていきたいと思っております。
人それぞれ、日々何らかの目標を持って行動していることと思います。
ここでふと思ったのは、「目標」と「執着」は相対する意味を持つのではないか、ということです。仏教では「執着を捨てる」ことが教えとして説かれていますが、目標に向かう「執着」までも捨ててしまってよいのでしょうか。私はそうは思いません。
むしろ、「執着」の中にも選別があり、何を捨てて何を持ち続けるか――その見極めこそが大切なのではないかと感じています。
現在、私は非常に大きな目標に向かって行動しています。
- 宗教法人の移転登記に向けての取り組み
- そのために必要な、僧侶としての資格取得(現在の宗教法人には僧侶が不在)
この目標を達成するためには、私一人の力だけでは到底及びません。部分的には「他力」にすがることも、必要な道であると考えています。
成就できることを願いながら、日々挑戦を続け、「南無阿弥陀仏」を心から唱えています。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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