「努力」は誰のためにする?「他力本願」の解釈
言葉の意味として私も今迄は、他人の力を借り自分の目的を達成する事だと思っていました。これは解釈の誤りだと気づきました。何故なら今までの自分の行動、思考を振り返って見ても当てはまることが浮かび上がります。しかし、自分も努力しながら物事を解決しようと、必死に取り組んできたと思っています。そして、その努力が報われたときは、満足感に尽きると思っています。
努力にも二通りある。著書にも記されているように「つらく苦しいこと」と「自分の好きなこと」。このことに付いて「努力」とは、多くは「苦しいことに取り組む」と考えますが、そうではないと悟りました。楽しい事にも努力を費やしているのだと。
しかし、私の場合「他人任せにできない性分」が勝り、何でも自分で解決しようと思う心が働きます。このレポートを書き上げるのも、私にとっては苦しく苦手な範中ですが、克服する事が修行の一環だと思います。
私は昔から技術畑で歩いてきた人間、「何でもやってやろう」という気構えが旺盛で、営業面でも挑戦して人間関係を築くことにも努力し成長してきました。
今は得意分野ではありませんが、仏教と深い関わりを持つ宗教法人、霊園の運営に努力を重ねて取り組んでいます。未知の世界に又挑戦しますが、「浄土真宗」の教えを心に「南無阿弥陀仏」を唱え、人生最後の努力をしたいと思っています。

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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