「日々の暮らしに追われて、念仏をする時間すらない人は救われないのか」
親鸞聖人が越後に流罪となって以降お考えになったことです。
浄土真宗の教えの中にある「他力本願」。
これは、他人の力をあてにして自分では何もしないという教えではありません。「他力」は阿弥陀仏の本願力(阿弥陀仏が衆生を救おうとする大きな力)のことで、「本願」は阿弥陀仏が悟りを開く前の法蔵菩薩だっ時に、すべての人々を救う力をそなえた仏となりたい、と誓った48の願いを指します。
その中で「私が仏になった時、衆生が私の真心を受け取って、疑いなく信じ浄土に生まれようとするわずか10回でも念仏を唱えるようにさせたい。それでもし衆生が浄土に往生できないのなら私は仏になるまい。」という誓いをたてられ、そして悟りを開いて阿弥陀仏となられました。この本願に基づく救済の力を成就したことを本願力と言います。
私たちも日々の暮らしに追われ、念仏えをお唱えしたり、仏の教えを学ぶことをおろそかにすることが多いと思います。
でも、南無阿弥陀仏とお唱えし阿弥陀様にすべておまかせし、日々を精一杯生きる原動力にするのも良いのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏

















僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。
信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」
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