誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

他力本願の勘違い

仏教の勉強を改めて始めてから「他力本願」という言葉の意味の解釈を完全にはき違えていたと気付きました。

私は元々、何でも自力で頑張るという生き方、在り方が根強かったので、人に任せる、人に委ねる、出来ないとはっきり伝えるということがとても苦手でした。

そういった強い自我は、過去の様々な辛辣な経験の中で出来てしまったものでしたが、自分のことを苦しめている原因であることも、自分で理解もしていました。

この自我を手離していこうとする時に使っていたのが、他力本願という価値観です。

自力で何でも頑張ろうとする在り方の苦しさは、他力を利用することによって手離すことが出来ると思い込んでいました。

他力とはまさに読んで字のごとくですが、「自分ではない他の人」という解釈です。

でもこの他力とは実は阿弥陀様のお力のことで、阿弥陀様にお願いする、おすがりする、委ねるという在り方だったんですね。

これまでも神仏への信仰は強い方だったと思いますが、正直、ここまでの思いを持っていたかと聞かれれば、ノーかもしれません。

そもそも、神仏の御加護や応援などは常に感じ、それに感謝の思いもずっと持っていますが、神仏に対して解決を望むことや夢や希望を叶えてもらうなど、100%の依存に近い思いを持ったらダメだと思っていましたから。

これまた私なりの勝手な解釈かもしれませんが、阿弥陀様という存在は、宇宙と同意なのかもしれないと感じています。

今後はもっと意識的に、阿弥陀様を身近に感じながら生きていきたいと思うようになりました。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

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