誰であっても僧侶になれる得度への道をご用意しています。

「愚痴」を言わないことのメリット

「愚痴を言わないと、神様が味方をする。」
そう言えば、大好きな小林正観さんはそんなことを言っていました。

正観さんは、徹底して人の不平不満や愚痴を聞かなかったそうです。お弟子さんから、お話を伺ったことがあるのですが、正観さんは、「俺は62歳で死ぬから」とずっと言ってて、ちゃんと62歳で亡くなったようです。もともと次元の高いお方なんでしょうね。

私が、結婚するときに「決して嫁さんの愚痴を言わない」と誓いを立てたのは、正観さんの影響だったのかも知れません。

それから、10年、どんな状況でも、なんとか愚痴を1つも言わずに生きてきました。(はずです)

もちろん感謝が大きいのもありますが、それでも不平不満を感じてしまうのが私のような人間です。

10年という区切りで、このメリットを振り返ってみたいと思います。
まず、脳科学的にも言われることですが、「愚痴を一番近くで聞くのは自分」です。だから、愚痴を言うことで、自己洗脳のように、その事象を自分の中で強めてしまうんです。

昔、AさんのBさんへの愚痴を日々聞いていたことがあります。私も相槌のつもりで、「確かにBさんはこういうとこあるよね~」と同調していたら、いつのまにか、私もBさんが少しずつ苦手になってしまったという経験があります。

下手に愚痴ったり同調したりするのは、予期できない結果を招きます。

そして私が最大のメリットと感じているのは、
「不満の吐き出す場所がないということ」です。

不満があるから、愚痴が出ます。不満エネルギーを愚痴というエネルギーに変換して出してしまうと、ある程度その不満が解消してしまうのです。

結果、本当の問題を放置することになります。

不満の「根本」を解消するには、2つの方法しかありません。
1つは、自分の器を大きくし、不満を感じない人間になる。(期待を感謝に変える)
もう1つは、配偶者とその不満について話合い、解決する。

このどちらかです。
不満エネルギーを貯めていくと、いずれどちらかの行動をせざるを得なくなりますが、愚痴というエネルギー解消方法を取っていると、その問題に向き合わないで済むようになります。

変に溜めて爆発するのもよくないですが、私にはこの方法が合っていました。

仏教でも、「愚痴」という単語には苦しみの根源という意味があるそうですね。100害あって1利なしの愚痴は、言わない方が良さそうです。

仏陀倶楽部では、 こうした日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、宗教法人得藏寺 代表役員
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す。
現在は誰もが「得度」し、僧侶になれる機会を提供している。

信念は、「人生を変えるのに修行はいらない」

愛葉宣明のコラムはこちら